通信20-32 電話という機器が珍しかった頃

 二十歳そこそこだった。次第に金を稼ぐ事を覚えた私は、ともかくありついた仕事なら何でもこなそうと、意地汚い目つきであたりをきょろきょろと見回していた。仕事にありつくのに何より必要なもの、それはもちろん連絡を受け取るシステムさ。私だけじゃないぜ、当時、私と同じ世代の若者で、部屋に電話を引いているものなど数えるほどしかいなかった。   

 私の場合、アパートの廊下に共同のピンク電話が設置してあり、外から電話が掛かると、たまたま通り掛かった住人が受話器を取り、掛かってきた先の住人の部屋まで呼びに行くという習わしだったんだ。別に私が住んでいたアパートが特別に貧しかった訳じゃない。まあ、だいたいどこのアパートもこんなもんだった。うん、でもこれでは人集めの効率が悪すぎる。それでいつの間にか出来上がったスタイル、うん、日雇い労働者のための手っ取り早い、臨時の職業安定所みたいなやつが出来上がっていたんだ。

 当時、私が住んでいた街には大きな音大があり、楽器を練習できるアパートが建ち並んでいた。東京といえどもそんな街がいくらもある筈がなく、その地元の音大に通う学生だけじゃあなく、さまざまな音大生や音楽家たちがその近所に集まって住んでいた。

 そんな街の駅のすぐそばにあるEという喫茶店、毎朝、九時頃にはその店の片隅に貧しそうな連中が集まった。学生もたまにはいたが、多くは職にありつきたがっているフリーの音楽家たちだった。やがて決まった時間になると、いささか怪しい中年男が現れる。うん、手配師みたいなやつさ。音楽の求人情報を抱えてやってくるその男の事を、われわれは妙に歯ごたえのあるトーストを、泥水のようなコーヒで空っぽの胃袋に流し込みながら、待ち続けたんだ。

 劇伴にヴァイオリン3、チェロ1、スタジオにラッパ1、テナーサックス1、キャバレーのハコにピアノ1・・・ってな具合に淡々と読み上げる男に向かって、元気のいい小学生みたいに「はい、はい、はあい」と挙手をして駆け寄ってゆく。劇伴ってのは演劇の伴奏音楽、ハコってのは一月だとか三か月だとか、まとまった期間を飲み屋で楽器を弾きながら過ごす事だ。ハコ、うん、こいつは有難かった。しばらく食いっぱぐれる事はないし、店によっては昼間、店が開くまでの時間、練習場所として使わせてくれる事もあるんだ。絡んでくる酔っ払いを上手くいなす事さえできれば、あとは楽屋代わりの倉庫に転がっている明星の歌本やら、「麗しの映画音楽100選」なんて譜面を見ながら適当にピアノを弾いていればいい。ちなみに楽器の後に読み上げられる数字は募集人数だね。

 毎日、そこに通っていると、次第に顔見知りが増えてくる。そうすると、うん、だんだん仲間同士で仕事を融通し合うようになるんだ。その内、仲間の中にも「やり手」ってやつが現れる。頭角を現してくるって訳さ。芸大でフルートを吹いていたSって女の子がなかなかのもんだった。どこにでも臆せず潜り込んで自分から仕事を取って来るんだ。まったく元締め向きの性格さ。Sは何故か私の事を気に入ってくれて、やたら仕事を回してくるんだ。Sを中心に、あっという間に五六人のグループができた。もちろんその中に車を持っている人間を選ぶのをSは忘れない。ぼろぼろの車だったが、まさにキャラバン隊さながら、幌馬車とも見紛うような狭い車の中に詰め込まれ、さあ、東海道五十三次どこへでも参ります。もちろん箱根の山を越えるのだってやぶさかではないし、奥の細道だって何するものかだ。

 このSってお姉ちゃん、いささか悪ぶってはいたが、うん、根は上品なんだ。育ちの良さがちらちらと垣間見える。どうやら長野だか、岐阜だかの豪農の娘らしい。子供の頃から時代劇を見て育った私に中では、百姓は貧乏人の代表だったはずだが豪農?うん、そいつが私にはさっぱり想像がつかなかった。エルメスだとかグッチのもんぺを履いて、キャデラックだとかロールスロイス製の耕運機で畑を耕してでもいるんだろうか。私の貧しい想像力で描き出せる豪農の姿は随分と頓珍漢なものだった。

 実は一度だけ、Sの実家に立ち寄った事がある。ドサ回りの途中、山の中を走り続ける車のボンネットの中から、不気味に煙が立ち昇り始め、エンジンの音に断末魔の呻き声が混じり出した頃、これは危ないんじゃないかと、たまたま近くに来ているってんでSの家で車を休めようってな事になったんだ。Sの家の大広間、われわれは畳に上に大に字に寝転んだ。われわれがどんなに手足を一杯に伸ばしたところでびくともしないぐらいにSの家は広かった。そこで西瓜をたらふくご馳走になりながら、しばらくごろごろと過ごしていると、ああ、何故だろう?絵日記書かなきゃあ、夏休みの友やらなきゃあ、などという気分になるんだ。ブランド物の作業着や、舶来物の耕運機はなかったが、うん、豪農ってのはいいもんだねなどと嘯きながら、束の間の休息を貪ったんだ。

 

                          2019. 6. 7.