通信20-31 徹夜が続くと耳から血が出る事があるよ

  I先生の元に通い出して数か月ほど経つと、書いたものに対してアドバイスをいただく代わりに、ぽつぽつとささやかなアルバイトを回して貰えるようになった。アルバイトの内容は主に写譜、作曲家が書いた総譜、いろんな楽器のための音符がごた混ぜに書き込まれた譜面から、一つ一つの楽器のための譜面を、そいつは総譜に対してパート譜と呼ばれるんだが、そのパート譜とやらを書き写す作業だった。

 

 

 毎度、違う作曲家の元へと訪ねてゆき、そこで写譜に精を出すんだが、これは大いにためになった。いろんなタイプの作曲家たちの譜面を直に見る事ができるというのは、うん、本当に有難かったんだ。田舎者の私は本当にコンプレックスの塊だった。作曲家としてやっていくためには、決まった型のようなものに自分を嵌め込まなきゃならないと固く信じていたんだ。でも、実際に現場を見てみると、皆、自分だけのスタイルを持って、自由に、自身が最もやりやすい方法で仕事をこなしていた。ともかく他人に通じればどういう方法を取ってもいいんだという事を知って、私は凄く気が楽になったんだ。

 

 

 何故、I先生が、知り合って間もない私に、いろいろなアルバイトを紹介して下さったのか、その意図はよく分からない。私があまりに貧乏臭い顔をしていたからだろうか。もしかすると私のようなひねくれ者は、あれこれ指導するよりも、いろんなスタイルを見せて、勝手に技を盗ませる方が良いと思われたのかもしれない。うん、私自身、若い自分が、今の私の元に入門を申し込んできたら、多分引き受ける事はないだろうと思うからだ。若い私はうんざりするほどややこしい性格だったんだ。どこの馬の骨とも分からない唐変木を受け入れてくださったI先生の懐の深さにおおいに敬服する。ところで馬の骨って何だろう?

 

 

 ともあれ多くの作曲家たちと知り合う事は何よりためになった。何はさておきこの世界、顔を知られなきゃ話にならないんだ。写譜のアルバイトで受け取るギャラ、それはさまざまだった。まさにピンからキリってやつさ。「こんなにいただいてよろしいのでしょうか、ははああああ」と思わず床に頭を擦り付けたくなるような高報酬から、握り飯と沢庵だけといういささか寂しいものまで。それでも皆、さほど文句を言う者もなく、黙々と、握り飯が出た時はもぐもぐと写譜に励んだ。握り飯だけのギャラ、うん、実は都合が良かったんだ。何故って、後で私自身が書いた総譜の写譜を頼む時、やはり握り飯と沢庵だけでお願いできるからさ。人生、持ちつ持たれつってやつだね。

 

 

 次第に締め切りが近づいてくると、作曲家の眉間の皺が深くなってゆく。うん、映画の場合、もちろんエロ映画じゃないよ、大手映画会社が制作するやつ、かなり音楽に対するスケジュールが厳しいんだ。フィルムが完成してから、だいたい二三日で音楽を付けなきゃならない。現実はオーケストラのための曲なんだが、それが下書き用に作られたピアノ譜のまま回って来る事もある。ごめん、そのピアノ譜、弦のアンサンブル用に書き直してくれるか?そんな時は大喜びさ。何てったって自分が書いた音が弦のアンサンブルで演奏されるんだ。貧乏な作曲家には滅多にない機会だ。まだ、ホームヴィデオなんて世の中に存在しない時代の話、映画が封切になると、喜び勇んで映画館に駆け込み、うっとりした気分で自分が書いた音を確認したんだ。

 

 

 いろんな事を教わった。ともかく早く正確に仕事をこなす方法から、人間は三日間完全に眠らずに過ごすと耳から血が出るという事まで。ある仕事を終えた明け方の事、お疲れさんと言いながらばたばたと皆、その場で横になる。一人が風呂に入りたいと湯舟に湯を張るために風呂場へと消えた。私もその場であっという間に意識を無くし、ふと気が付くと、あれ、もう夕方じゃないか。皆も、ぼんやりとした顔で起き出し、よし、焼き鳥でも食いに行くかと立ち上がりながら、あれ、一人足りないぞ、どこに行ったんだ?おかしいねと風呂場を覗くと、おお、数時間前に風呂に入りたいと風呂場に消えた〇君が、風呂の中で寝ているじゃないか。おい、〇君、俺たち焼き鳥屋に行くから、君も後で来いよ。それから半時間後、〇君、すっかりふやけてしまい、靴が入らないぐらいに巨大化した足に、しょうがないと玄関にあった、誰のものかも分からないスリッパを引っ掛け、むくんだ顔のまま焼き鳥屋へと現れたんだ。

 

 

                                 2019. 6. 6,