通信24-8 百円の出刃包丁

 伝染病の襲来で数少ない収入を絶たれた私は、気を紛らわす事も兼ねてともかく趣味を持つ事にした。遠出する気力もなく、うん、電車やバスに乗る事すら真っ平だってんで、部屋に閉じこもっていてもできる趣味、ああ、そうだ、魚を捌く技を磨こう。たまたま最近近所にできたスーパーの鮮魚コーナーが、魚を丸ごと一匹、それもかなりの安値で売り始めたんだ。

 

 三枚おろしぐらいならかろうじてできた。よし、二枚おろし、大名おろし、手開き、うん、姿造りってやつもやってみたいねえ。自分でおろせば腸の塩辛だって作れるしってんで、魚を捌く事、そいつを当面の趣味に定めたんだ。

 

 おっと、魚を捌くには道具がいるじゃないか。金物屋に出向き、包丁のコーナーを覗くと、うっ、息が詰まるほど値段が高い。うううん、などと唸りながらふらふら歩いていると、ああ、足はいつもの百円ショップって訳さ。

 

 おっ、凄い、百円ショップに出刃包丁があるぞ。本当かね。素材は何かな。横から見ていると、うん、随分と薄っぺらだね。いやいや、どこまでも薄っぺらな男が使うんだ。まったく身の丈に合っているってなもんさ。早速、不思議な色つやを湛えたその出刃包丁と砥石を二個買い込む。砥石を二個?うん、砥石ってのは変形しやすい。変形した砥石の面を再び平べったくするために、砥石を研ぐための砥石が必要なんだ。

 

 おいおい、一体どういう理屈なんだい。研げば研ぐほど包丁の表面と裏面の色が、手触りが、かけ離れてゆくんだ。表面は、うん、包丁に見えるね。だけど裏面が、何と言えばいいんだろう。何やらアルミみたいなくすんだ色になってゆくんだ。

 

 いやいや、見た目などどうでもいいさ、などと半分は負け惜しみ、あと半分はその気になって磨き続けた。随分と若い頃、料理屋でアルバイトをしていた頃の事など思い出し、うん、単純作業には不思議な快感が伴う、包丁一本、晒しにまいてぇぇぇぇ・・・などと鼻歌まじりに研ぎ続けた。毎日少しづつ、一週間も研ぎ続けただろうか。おお、ようやく「まくり」がでてきたぞ。「まくり」ってのは包丁のへりにできる引っ掛かりみたいなもので、これができないと切れる包丁にはならないんだ。

 

 よし、随分とそれらしくなったじゃあないかってんで、書き損ないの五線紙、そいつを束にして持ってきて、片っ端から試し切りをしてみた。「やあ、首と胴の生き別れえ」ってなもんさ。うん、いいじゃないか。その包丁、ちょいと研ぎ過ぎたのかいささかぺらぺらになったが、ともかく切れ味はなかなかのもんさ。

 

 早速、新しいスーパーに通い詰め、鯵、カマス胡麻鯖、ヒラマサ・・・と捌き続けた。おお、鯛だ。さっと三枚におろし、よし、念願の兜割りってんで、まな板の上に立てた鯛のお頭に包丁を当てる。ぐいぐいと力をいれるが、うっ、こりゃ硬いね。こうなりゃ力技さとむりやり包丁を押しつけると、ううううん、激しい音と共に見事に割れたのは兜ではなく、研ぎ過ぎてぺらぺらになった包丁の方だった。うん、それでどうしたかって?今、二代目の百円出刃包丁を日々研いでいるところさ。

 

                                                                                                                  2020. 10. 7.