通信24-7 フィリピンのお嬢さんからチョコレートを買う

 伝染病の影響で大いに収入が減った。思わずごくりと息を呑むほどに。といっても普通に生活していられるからまあいいか。実は今、自分がどれぐらいの収入を得ているのかは知らない。仕事のギャラはほとんどが銀行振り込みだし、出費もほとんどが銀行引き落としだ。金、そいつは私の背後で見知らぬ手から手へと渡っている。

 

 まあ、それでも税務署から督促が来る訳でもないし、アパートからの退去命令が下されてもいない。「電気を、ガスを、ほうら停めてやるぞ」という脅し文句を耳にする事もないし(いや、このあたりに関してはそろそろ危ない気がしている)、今朝も新聞は届いていた。

 

 二人の生徒が手渡しでくれるレッスン料、月に一度レッスン料代わりにと両手一杯にぶらさげてくる食材、それで生活は賄っている。紙と鉛筆があれば特に欲しいものもないし、うん、「天下は太平だねえ」などと呟きながらのんびりと生活する事ができているから、うん上出来だ。

 

 それでも人々が疲弊している事は分かる。額に影を作り、眉を八の字に垂らした何人の人とすれ違っただろうか。公園の生垣に腰を下ろしたまま、焦点の合わない虚ろな目で過ごしている人を見掛ける事もしばしばだ。

 

 いつものように歩き回り、出会い橋を渡ったところで浅黒い肌の若い女性に呼び止められた。この出会い橋というのは博多と福岡の間を流れる那珂川に架かる橋で、福博出会い橋とも呼ばれる。ちなみに福岡と博多という地名の定義は割と曖昧だ。

 

 ところでそのお嬢さん、何やら私に紙を差し出すが私にはその紙面に書かれた文字は良く見えない。軽く会釈をして、曖昧な笑みを浮かべ、その紙を受け取り立ち去ろうとすると、慌ててそのお嬢さんが縋るように私を引き留める。ああ、よく見るとその紙はラミネート加工されていて、なるほど、チラシじゃなかったのか。

 

 その紙には、自分たちは留学生で、伝染病のせいで仕事やアルバイトを失い困っている。どうか菓子を買って欲しい。などというような事がどうやら書かれているようだった。私がどこから来たのかと問うと、フィリピンという言葉が返ってきた。

 

 そのフィリピンのお嬢さんが、まさに私たちが子供の頃、繁華街で見掛けた花売り娘、ピーナツ売り娘のように籠に入ったお菓子を差し出す。これ何?「チョコレート」。いくら?「五百円」。ごそごそとみっともなく所持金を漁ると、丁度五百円玉が一枚だけあった。「ああ、これ買っちゃうと一文無しになってしまうなあ」などと思ったが、特に今日中に買わなければならない物もないし、まあいいかと思い、その五百円玉と引き換えにチョコレートを受け取る。

 

 受け取ったものの、うううん、チョコレート苦手なんだよなあ、これ食べると喉がいがいがするんだよねえなどと思い、家に帰りついてすぐにそいつを、そのいがいがの元を、冷凍庫に放り込んだ。きっと数年後、冷蔵庫を大掃除する時に、これ何だろう?という形でこのチョコレートと再会する事になるんだろうねえ。

 

 という訳で、今、私の部屋に遊びにおいで下さったお客様のうち、先着一名様にはるばるフィリピンからやって来たお嬢さんによる手作りチョコレートを差し上げます。

 

                                                                                                        2020. 10. 6