通信22-29 サーカスを観た夜

 口元はだらしなく半開き、おいおい、涎が垂れていないかい?目を皿のように開き、ぽかんと天井を見上げる。うん、そんな姿が間抜けだという事はもちろん自分でも分かっているさ。分かっているけどやめられない。「すーだら節」の歌詞みたいにそれでもぼんやりと天井を見上げ続けていたのは、サーカス小屋にいたからさ。空中ブランコを眺めていたんだ。

 

 凄いもんだね、サーカスってのは。アスリートそのままに引き締まった体を持つ美男美女が空中を乱れ飛ぶんだ。うん、近所に住む優しいお嬢さんがこの爺をサーカスへと連れて行って下さったんだ。最近ではすっかり部屋に引きこもり、脳味噌に黴が生えるままにぼんやり暮らしている私を見かねてか、少しは頭蓋骨に風を通すようにとサーカスの招待券を下さったって訳さ。

 

 サーカスは初めてじゃあない。もう何十年も前だが、木下大サーカス、矢野サーカス、コグレサーカス、日本を代表するサーカスは一応観た事がある。娯楽の少ない時代、小学校の行事の中にサーカス見物ってのが含まれていたんだ。

 

 といっても今、目にしたばかりのサーカス、そいつは子供の頃に見たものとはまったく違っていた。ともかく明るく健全なんだ。子供の頃のサーカスはなにやら悲哀が漂っていた。見世物臭がぷんぷんと臭った。「夜遅くまで遊んでいるとサーカスの人に連れていかれるよ」などと大人たちに脅される、そんな怪しい怖さが昔のサーカスのテントの中には漂っていたんだ。

 

 ピエロには毒がなく、クラウンとオーギュストの区別も見当たらなかった。うん、かつてのサーカスで活躍するピエロには二種類あって、間抜けな愛すべきキャラクターを持つクラウンと、そのクラウンを蔑み苛め抜くオーギュストに分かれていて、いささか毒の強い諧謔を見せてくれたんだ。そういえば今回、小人を一人も見かけなかったなあ。

 

 まあ、時代の流れってもんさなどと嘯きながらも、二時間のショウをたっぷりと堪能し、機嫌よくテントを出る。ようやく遅い午後に差し掛かったばかりで、テントの外に出るや、現実に引き戻され、その落差を楽しむように噛み締める。

 

 それではお散歩でもいかがでしょうかと、お嬢さんと連れ立って春のような博多の街をふらふらと歩き、そろそろ小腹でも空かれたのではとお嬢さんを気遣い、博多駅の安い居酒屋へとお誘いする。

 

 そこで焼酎を一瓶飲み干し外へ出ると、あれれ、お嬢さん、大丈夫ですか、随分と足元が怪しそうですが。まあ冬の夜といっても、今年は記録的な暖冬、酔い覚ましにお散歩も乙なもんでしょうなどと、わざと遠回りなどしたものだからお嬢さん、ますます足元がふらふらに、ああ、まるで紙人形みたい、でも酔っ払っている時はそんな事だって楽しいもんさ、泡を吹くように意味のない言葉をだらだらと垂れ流しながら歩き回る。

 

 西門通りという博多の古い街、そこにある老舗の蒲鉾屋、確かチューリップというバンドのドラマーの実家らしい、その蒲鉾屋の横にある駐車場で、おっと、お嬢さんがついにばたりとお倒れになった。「隣に居ったこの友の俄かにはたと倒れしを、我は思わず駆け寄って、しっかりせよと抱き起し、仮繃帯も弾の中」。まるで「戦友」とかいう軍歌の歌詞のように、慌ててお嬢さんに駆け寄り、家はもうすぐですよ。こんなところで寝ては凍え死んでしまいますよと抱き起す。

 

 幸いお嬢さんの家はもう目と鼻の先にあった。男子禁制マンションのエントランスにお嬢さんを放り込むと、おお、自分でしっかりとエントランスの鍵を開けておられるじゃないか。あれ?ここ、オートロックと聞いていたけどぜんぜんオートじゃないやん、手動やん、などと突っ込んでみたかったが、うん、お嬢さんそれどころじゃないみたいなので、そのまま無言で帰った。実はお嬢さんのお宅から私の家まで歩いて一二分なんだ。うん、近所ってのもいいね。とにかくどちらかが正気でいれば無事に帰り着く事ができるって訳だね。

 

                                                                                                        2020. 2. 7.