通信24-34 久々に図書館へ

 思い切って図書館に出掛けた。思い切って?うん、最近とみに体調が悪く、なかなか部屋を出る気がしないんだ。ちょいと出掛けるにしても隣近所まで、もし突然倒れても這ったまま部屋に帰り着けるまでの距離、それが今の私の行動範囲さ。鎖に繋がれたまま小屋の回りをぐるぐる回るだけの犬みたい、うん、この私も臆病という鎖に繋がれているんだ。

 

 そんな私だが、意を決して図書館まで行ってみた。図書館というと、私の家から見て福岡市の中心にある天神という街のさらに向こう、ああ、考えるだけで足が竦んでしまうほど遠くにあるんだ。よしってんで新大陸に向かうコロンブスのような悲壮な決意で、いや、コロンブスってのは物凄い野心家だったらしい、さぞかし浮かれ気分で旅立ったんじゃないんだろうか?ならば吉良邸に討ち入る勇敢な浪士たちのような決意を持って、その遠い街へと向かったんだ。

 

 ところで何故図書館に行くのかって?うん、今月、また石原まりさんとお喋りしなきゃならないんだ。今回は「バロック音楽」についてさ。図書館に行ったからといって、別に新しい知識を仕入れようってつもりはない。今、私の頭の中にある乏しい知識で何とかやりくりするつもりさ。ただ人名、それから数字、その点について私の記憶はあまりに曖昧なんだ。どんな素っ頓狂な事を言い出すかわかったもんじゃあないからね。せめてもの裏取りでもやっておこうって訳さ。

 

 最近は作曲家たちのファミリーネームとファーストネームが上手く結びつかなくて困っている。ええと、ベンジャミン・ヘンデル?トーマス・アルビノーニ?フランクリン・コレルリ?トーマス・マイケル・ヴィヴァルディ?キャロライン・チャロンプロップ・・・いやいや、それはキャリーぱみゅぱみゅのフルネームだ。うん、まあいいか、そのあたりは石原まりさんに丸投げだ。

 

 二冊の歴史書をお借りして図書館を出る。そういえば海側の道を歩いた事がないのにふと気づき、いつもは通らない道を歩く。へえ、随分と小洒落た街じゃあないか。と、いきなり目の前に巨大な建物が。なんだこれは、おお、これが噂の福岡ドームか。最近ではペイペイドームとかいう情けない名前に成り果てたらしい。

 

 「バロック」、いよいよ音楽の舞台が教会から宮廷へと移る。産業としての音楽が現れ、市民たちの消費の対象となる。ああ、これで随分と話がし易くなるだろう。なんてったってこれまでは、本当に手探り状態、ギリシャってのは、中世ってのは、こんな感じかななどと、半分以上は確信を持てない状態で、これまでに聞きかじった事実を、一本の細い糸で繋ぎ合わせるような頼りない作業に振り回されてきたんだ。しかもこの私といえば、とんだ罰当たりの不信心者さ。それがいかにもわかったように宗教音楽などについて話すもんだから、まったくどんなに罰が当たってもおかしくはないね。

 

 そういえばここ数か月続く、原因不明の痒み、これこそ罰なんじゃないだろうな。以前、痒みは滑稽だなどと笑ったが、いやいやなかなかの苦痛だぜ。旧ソ連政治犯収容所の実態を暴き話題になったソルジェニツィンの「収容所群島」。あの中で書かれていた数々の政治犯あいての拷問、その中に直立不動でいるのがやっとの小さい箱の中に、裸の囚人と数百匹の南京虫を一緒に入れるとかいいうのがなかったっけ。うん、今の私には到底耐え抜く自信などないね。

 

                                                                                                      2020. 11. 8.