通信24-33 もう一度録り直し 

 一昨日の録音、その出来があまりにも酷かったんで、さすがに録り直した。いくら自分がもう音楽家として終わっている事をアピールするための録音だからといっても、さすがにこれは酷すぎる。うん、私にだって一ミリぐらいの矜持はあるんだ。

 

 そうだね。録音の出来を松竹梅の三段階に分けてみる。その録音を、多分わが心のプロデューサーT氏が持つであろう感想をそれぞれに表すとすれば、

松「こいつ、まだまだ使えそうだ。早速仕事に入らせようじゃないか」

竹「ああ、この状態じゃあ、やっぱり仕事はちょいと無理かねえ」

梅「おいおい、こいつ大丈夫かね?棺桶に片足、突っ込んでいるんじゃないのかい?」

 というようなところだろうが、ああ、松はもちろん困るが、やはり梅ってのはいくらなんでもまずいだろうね。余計な心配は掛けたくないしね。何しろ相手は律義なやつなんだ。メロンの一個ぐらいなら有難く受け取るが、見舞金でも送られてきた日にゃあ、申し訳なさで縮こまってしまうだろうさ。

 

 うん、昨日はうまい事、竹でまとめる事ができたみたいだ。思い切りリラックスして、といってももちろんリラックマみたいにだらりとはしなかった、程よい緊張を持って、ゆったりとしたテンポを設定し、明るい気持ちで吹き通したんだ。ああ、やっぱり演奏ってのは楽しいもんだねえ。

 

 録り終えて時計を見ると、あれ、まだたっぷりと時間が余っているじゃないかってんで、がさがさごそごそと、これまでに使った譜面、そいつらを片っ端から挟み込んでいるバインダーを漁ってみた。あれ?協奏曲の譜面がでてきたぞ。そうだ、確か伝染病が流行り出す前、私はこの協奏曲をひたすらさらい続けたんだ。でも、その時はまったく上手くいかなかった。ぐにゃぐにゃに曲がりくねった私の指は、出来の悪い知恵の輪みたいに絡み合って、すっかり動かなくなってしまった。息だってどこかから漏れ出しているみたい。ふーすかふーすか、蛇腹の破れたアコーディオンみたいな音をばらまき続けたんだ。やがてあまりの情けなさに、ああ、まるでいなかっぺ大将こと風大左衛門みたい、「どぼじてどぼじて・・・」などと呟きながら、飴玉みたいな大粒の涙をぽろぽろとこぼし続け、がっくりとうなだれたまま楽器を仕舞い込んだ。それで不貞腐れたまま、譜面を封印するかのようにバインダーに押し込んだんだ。そうこうしているうちに世の中には伝染病があっという間に広がってスタジオは閉鎖、何とも空虚な春の街を当てもなくさ迷い歩き続けているうちに、この協奏曲の事などもすっかり忘れていた。

 

 昨日録音を終えたその時、私は上機嫌?能天気?うん、ともかく朗らかだったのさ。浮かれていたと言ってもいいだろう。勢いに任せてその協奏曲を音にしてみると、あれれ、あっさりと演奏できたじゃないか。テンポだって一回り締まっているし、ダイナミックレンジだってたっぷりと幅広く取れていた。ああ、こんなのが一番困るんだよね。だって、ほら、また何やらむずむず、色気ってもんが湧き出してくるじゃあないか。もう一度、さらい直せば何か面白い事ができるようになるんじゃないかってさ。いやいや、大丈夫、突然出来るようになったんだから、また突然出来なくなるさ。おお、くわばらくわばらってんで、さらにバインダーの奥の奥に、この譜面を押し込んだんだ。

 

                                                                                                            2020. 11. 7.