通信22-6 昔の名前で出てみたい

 ここ数日、完全にこの干からびた頭を作曲という行為に突っ込んで過ごした。成果はあったのかって?ああ、意外な事に思っていた事ができたんだ。ほんの数分の曲、原稿用紙にして僅か数枚の小品さ。ただその数枚を書きつけただけの行為が、自身にとってはとても大きい意味を持っている。うん、初めて十年前、目を悪くする前のやり方で原稿を上げる事ができたんだ。

 

 市販の原稿用紙、うん、もちろん五線紙ね、そいつを使ったのは十年振りだ。いや、時折は使ってみようとしたが、その都度、盛大に頭痛、眼精疲労を抱え込み、ああ、頭の中は痛みの大宴会さ、おいおい発熱と吐き気、呼ばれてもいないやつらまでが宴会に駆け付けて来たぞってな訳で、もはや市販の原稿用紙を見ただけで軽い眩暈を覚えるようになってしまっていたんだ。

 

 ここ十年来、作曲のやり方としては、A3用紙にできる限り拡大コピーした五線紙、そいつに耐えられる間、メモを書き付け、視力の限界を感じたところでパソコンでの作業に切り替えるという方法をとってきた。ううううん、パソコンの作業に切り替えた途端、そこでぐっと速度が落ちるんだ。特急電車から各駅停車に乗り換えたってな感じさ。各駅停車、うん、昔は鈍行列車とかいう情けない呼び名で呼ばれていた代物だ。鈍行、まさに私の作曲はその言葉の通りだった。

 

 でもね、作曲ってのは速度なんだ。ある速度に乗っているうちに、ちょいと大袈裟かもしれないが、まさに自分のとっては奇跡としかいいようがない瞬間が何度も訪れる。その時まで思いもしなかったフレーズがいきなり自分の中から滔々と流れ出てくるんだ。そういった意味では作曲も演奏と同じさ。即興、起ったり起こらなかったりとかいう不確かなものじゃあないよ。長年の訓練によって確実に湧き上がる閃き、そいつが作品の出来を決めるんだ。

 

 この十年、パソコンに頼って以来、その即興ってやつにそっぽを向かれっぱなしだったんだ。キーボードを使って音符を打ち込む作業、そいつは手書きのスピードとは比べる事もできないほどのろいんだ。ガキの頃からの修業でようやく手に入れた手書きの速度、そいつを失ってから作曲はただ苦痛以外の何物でもなくなった。

 

 昨日、ようやくすべての作業を手書きで済ます事ができたんだ。目?うん、そいつは確かにいささかしょぼしょぼはしているが、耐えられないってなもんじゃあない。これなら大丈夫さ。後は少しずつ書く枚数を増やす事ができればいいんだ。もちろんもう一度、仕事の現場にしゃしゃり出ようってな訳じゃあない。ただ、一曲でいいんだ、目を悪くする前に書き溜めた曲を虚仮にするような、笑い飛ばせるようなやつを書きたいだけなんだ。

 

 多分、チェロの先生とお会いする予定ができた事が何より大きいんだろうね。これまで私の拙い曲を演奏して下さっていた方々は皆さんすべてと疎遠になってしまい、ともかく曲を書くという意欲がすっかりなくなってしまっていたんだ。もちろん世間の風の冷たさを嘆いたりはしない。すべては自業自得ってなもんさ。

 

 昨日は原稿を書き上げた後、初めて居酒屋の予約というものをしてみた。来週、チェロの先生と間に立ってくれた友人、私との三人でささやかな顔合わせの会を開くためさ。居酒屋の予約なんて初めてだからすっかり緊張してしまった。電話の向こうにいる居酒屋の店員さんの元気のいい声に圧され、「ああああの、ちょちょちょとお尋ねいたしますががが・・・」ってな感じの情けない私の声。うん、ともかく店を押さえ、仲介者である友人にメールを送る。「〇月〇日〇時、○○という店で。私の名前でとっています」。ん?「私の名前でとっています」って「昔の名前で出ています」という曲名に似てないかな?という訳で今朝はずっと頭の中で、「昔の名前ぇぇぇでぇ、出ぇてぇいぃまぁすぅぅぅ・・・」というフレーズが延々とリフレインされているところだ。

 

                                                                                                             2019. 12. 13.