通信21-34 頭の上に憂鬱が胡坐を掻いているんだ 

 くそ、いったい何だったんだ、今年の夏ってやつは。梅雨が明けて、自分でも驚くほどの量の原稿を書いた。よし、これでしばらくは作曲から離れて暮らすんだ。そうだ、新しい暮らしでも模索してみようかなどと、にやにやしながら寛ごうと思ったんだが、いやいや、何だか次々に新しい曲のイメージが湧いてくるんだ。

 

 九月になってようやく落ち着いたと思ったら、その最初の週末、何だかまた腹の中が騒々しくなって原稿用紙に飛びついた。ああ、まるで腹具合の悪い男がいつまでも便所から出られなくなったみたいに、私も机から離れる事ができなくなってしまった。ともかくその日から十日ほど、遮眼帯を着けられた競走馬みたいにさ、ぱっぱかぱかぱかと蹄の音も高らかに、不眠不休で書き続けたんだ。ようやく書き終えた頃、たまたま知人がライブをするってんで隣町、うん、放生会で賑わう箱崎、ぼんやりした頭を肩の上に乗せてふらふらと出掛けた。

 

 ライブが終わり、そこに居合わせた人たちと酒に流れ、ああ、まさに鉄砲水さながらさ、身も心もぽおんと流れてしまった、そうしてそれから、ええっと、何日経ったんだっけ、一人酒を飲み続けている。うん、もちろん仕事が終わったせいさ。若い頃からだ。まとまった量の原稿を書き終えると、死にそうになるぐらいの寂寥感に襲われる。何か大切なものをいきなり失くしてしまったような、どうにも取り返しのつかない事をしでかしたように気分になってしまうんだ。それにしても今回のやつは特に酷い。どこか弱ってんのかねえ?そうして、とうとうジン、ああ、私にとっては禁断の酒さ、そいつと買い込んできて、ぐいぐいと飲み続けたんだ。

 

 さっき、ようやく酒を止めた。立ち上がり、グラスに残ったジンを台所のシンクに流し、ああ、ついでに自分自身も流してしまいたいぐらいだ、憂鬱を振り切ろうと体に力を籠める。この状態に陥ってから二週間ほどだろうか、夢の中で過ごしたみたいだ。おいおい、夢に入り込むその前にやりかけていた大切な事があったはずだぜ。うん、何とかその時に、二週間前の状態に自分を戻したいんだ。そうして大切な事をきちんと片付けたい。いっそ中原中也みたいに「ああ、誰か来て僕をたすけてくれ」と叫びたいぐらいだね。誰かこの泥濘そのもののような憂鬱から、私を引っ張り出してくれないだろうか。

 

 ともかくまずは溜まった郵便物に目を通し、ほったらかしたままのメールに返事を返して、ああ、そうだ、飯を食おうか。久々に白いご飯とやらを口に押し込んでみようかね。それから、あれ?何だか体の奥で音符が蠢いているぞ。いや、もう勘弁して欲しい。また秋が深まった頃、ちゃんと五線紙に向かうからさ、しばらく待っていてほしいと腹の中の音符に話しかけてみる。

 

                                                                                                                2019. 9. 18.