通信21-33 アリエールの効果はまだ実感できていない

 随分と若い時、一緒に住んでいた女から誕生日のプレゼントは何が欲しいかと訊かれた事がある。元々、ほとんど物欲がない私は、何一つ欲しいものが思い浮かばず、口の中で意味のない言葉をぶつぶつと呟いた記憶がある。ああ、でも今なら欲しい物があるとはっきり言える。それは・・・ええっと・・・あれ?はっきりは言えないね。うん、その名前が分からないんだ。そいつは蛸みたいに八本の足を八つの方向に伸ばした、洗濯物を干すやつ。なんて名前なんだろうかね?ともかく長年使っていたそいつの足が突然折れたんだ。二本も一緒にさ。長年?うん、十年ほど前に百円ショップで買ったそいつはプラスティック製で、ああ、多分経年劣化によるものだろうね。なにしろ長い事、陽光に曝され続けていたんだ。

 

 洗濯物の生乾き臭を一掃してやろうと、買ってきたばかりの「アリエール部屋干し用」という洗剤を、ろくに考えもせず洗濯機にぶち込んだ。おいおい、ちょいと多すぎるんじゃないかねえ。ああ、確かにそうみたいだね。今、洗濯物が所狭しと干された私の部屋はアリエナイほどの洗剤の匂いに満ち満ちている。除菌効果は抜群らしいが、そんな洗剤で洗った服を着ても大丈夫なのかねえ。何しろ私自身が菌のような存在なんだ。

 

 それにしても夏の洗濯は何かしら楽しくていいねえ。これが冬となるとさ、そう冬、あの靴下の季節さ。出雲の神様が縁結びに精を出すように、二足の靴下をカップリングさせなきゃあならない。ああ、靴下の神経衰弱。靴下など適当に乾かしておいて、仕舞う時に左右を揃えればいいんだが、何故だか私はその行為をベランダに干す時点でやってしまわないと気が済まないんだ。真冬に寒風が吹きすさぶベランダでカラスに嘲笑われながら、凍える手で靴下を仕分けしている時、私は世の中で自分が最も不幸な人間の一人になってしまったような気がする。ちなみに真夏の暑い夜に、建て付けの悪い網戸を、たあらたらたらと脂汗を流しながら一生懸命窓枠のレールに嵌め込もうとしている自分にも、大いに不幸を感じる。

 

 部屋を少しでも広くしようと、古本を売り飛ばすために段ボール箱に詰め込む。売る、売らない、などとぶつぶつ呟きながら本を仕分けしていると、おっ、アイスキュロスの戯曲集がでてきた。ううう・・・などとうめきながら、思い切り頭を本の中に突っ込む。完成度という点では、ライヴァルのソフォクレスに及ばないが、その粗削りな、大鉈で削り出したような作品世界にどこまでも魅かれる理由は何なんだろうか?ああ、結局、一晩中ギリシャ悲劇に頭を浸し、うん、目は李のように腫れに腫れ満ちて、部屋の中は倉庫のように物が散らばったままさ。何とか今晩中には読み終わり、明日、朝になったら晴れ晴れとした気分で、あれ、なんて名前だろう?蛸のように八本の足を八方に伸ばした物干し機を買いに行こうと思っているんだ。

 

 またまた人様のブログにお邪魔した。ううううん、このアイコン、一体何が描かれているんだろう。黄色い星が一つ、あとは文字?ともかくクリックしてブログに飛ぶも、やはり何が描かれているのかはわからない。どうやら文字らしいんだが、何か大切な呪文でも書かれていたらどうしようなどと思いながらも、記事を眺めてみると、おお、手あたり次第、何でもかんでもという感じの記事が並んでいる。へえ、こんなのもいいねえ。つまみ食いするように面白そうな記事から順番に読んでいく。不良息子がバンドを始め、ついには立派な大人になるという話。そうか、最後はバンドをやめて立派な社会人になる訳だね。うん、とてもいい選択だと思う。そのまま音楽を続けていたら、多分、表面からはよく見えないような本物の不良になってしまう事が多いからさ。そういえば作家の阿部譲二氏は、まだやくざだった頃、自分の手下の若い者が音楽家と付き合う事を禁じていたらしい。音楽家と付き合うととことん人間が堕落してしまい、やくざ稼業が務まらなくなるといる理由らしいが、うん、私にはよおおおく分かる。

 

                                                                                                          2019, 9. 2.