通信22-18 無防備都市を観た

 一昨日は久々に「無防備都市」を観た。1945年、まだまだ戦争の疵が生々しいイタリアで作られた映画さ。チネチッタという撮影スタジオは戦没者の死体置き場になっているから使えない。撮影はすべて実際の街中でなされている。フィルムも十分な量をそろえる事ができず、焼け残ったストックを搔き集めたという事で、画質にも大きくむらがあるし、そもそも撮り直しができなかったらしい。ほぼドキュメントにしか見えないシーンも多々ある。そんな中で撮られたこの作品には奇跡といっていいような凄みがあるんだ。恐ろしく悲惨な映画だけど、うん、人間というものをとことん肯定させてくれるような力が漲っているね。

 

 ドイツ統治下のイタリアでのパルチザンたちの抵抗の物語さ。街の隅々に身を隠し、喘ぐように戦い続けるパルチザンたちを、身を投げ打って助ける神父、その神父も最後には見せしめとして街中の広場で処刑されてしまうんだが、金網の向こうからその処刑を見つめる子供たちが吹き鳴らす口笛、その鳥の声のようなトリル、うん、それこそが人間の希望の歌って訳だ。

 

 それから「8 1/2」、「道」と一日一本ずつ観ているうちに、何だか身も心も、洗い晒したまま放り置かれた洗濯物みたいにくしゃくしゃになってしまった気がする。作曲家の精神、もしそんなものがあるとすれば、うん、確実にそいつが戻ってきている気がするね。さあ、これからは天拝山の山頂で爪先立ちのまま三日三晩を過ごしたという菅原道真公みたいに自分を鍛え直してやろうと思っているんだ。

 

 インターネットのニュースを見ていると、えっ?カルロス・ゴーン被告が海外逃亡?コントラバスのケースに入って?本当にそんな事ができるのかと思って考え直してみたら、ああ、そうか、コントラバスのケースと言っても、あの空港に置いてある馬鹿でかい、棺桶みたいなハードケースの事か。一瞬、われわれが普段よく見かける楽器の形をそのまま彷彿とさせるようなソフトケースに、まるでエスパー伊東さながらに入り込む姿を思い浮かべて面食らってしまった。うん、あのソフトケースに何時間も入りっぱなしだったら凄いだろうね。レバノンについた時には、思い切り首の長い、なで肩のゴーン被告に変化していたら面白かっただろうにね。

 

                                                                                                            2019. 1. 3.