通信21-32 アリエールの効果に期待する

 昨日の朝、起き抜けにカーテンを開いて驚いた。何だ、この空の色は?いやいや、ただの青空じゃないか。うん、久しぶりの晴天に、その抜けるような空の青さに驚いたんだ。このところずっと雨が続いていたからね。おいおい、なんと大袈裟な。ガルシア=マルケスの小説じゃあるまいし。ガルシア=マルケスの頭の中にだけ存在する幻の土地、マコンドでは一日も止むことなく雨が降り続いたんだ。四年間もさ。あまりの湿気に、とうとう窓から魚が泳いで入って来るようになってしまったらしい。うん、それにくらべると私の家の周りに降った雨なんてちょいとしたお湿りぐらいのもんさ。

 

 今朝、目を覚ますと、うん、またまた雨さ。よしってんで汚れ物を洗濯機に放り込む。何故昨日ではなく今日?わざわざ雨の日に?うん、それはねスーパーに行って新しい洗剤を買ってきたんだ。ここのところ何となく生乾きの臭いに悩まされていたんだ。それでさ、アリエール部屋干し用ってのを買ってきた。さてその効果のほどは?ああ、何だかわくわくするね。うん、もうこれぐらいしかわくわくする事が自分の中に残ってはいないんだ。

 

 市場に野菜を買いに行くが、やはり葉野菜は駄目だね。長雨にやられたんだろうね。まさに全滅ってな風情だ。がらんとした棚が並ぶ葉野菜のコーナーを離れ、根野菜ばかりを買い込む。ああ、これからしばらくの間、ことことと根野菜を煮込む日が続くのかねえ。うん、まあいいいさ。どうせ作曲も何かをことことと煮込むような作業だ。似たような事を日々やっていればいいんだ。

 

 一通り書き物を終え、再びセバスチャン・バッハのコラールを分析する朝が戻ってきた。いつもそうんだが、書き物に集中する期間を終え、再び人様が書いた楽曲を分析する時期に入ると、その他人様の譜面がそれ以前とまったく違ったものに見えてくるんだ。そんな時だけだね、いささかでも自分に進歩っていうやつを感じるのは。私のような人間は自分の作品を書く事でのみ変わる事ができるんだと実感する瞬間さ。それで今は、これまで見えなかったセバスチャン・バッハの凄みがダイレクトに伝わって来て、うん、恐れ戦きながら譜面をめくり続けているところだ。

 

 ブログの欄外に並ぶアイコンに導かれて、またまた人様のブログにお邪魔した。これなんだろう?犬?いや、違う牛だ。多分牛のぬいぐるみだ。いきなり現れたのはナンシー関という名前。うん、少し悲しくなる。随分と若くして亡くなったんだよね。テレビの画面を眺めながら毒を吐く瞬間、眼鏡の奥で小さな目がきらりと光る、そんな情景がありありと浮かぶようなナンシー氏の文章に何度笑った事だろうか。それにしてもボン研のホームページに突然現れたご遺族らしき方のご挨拶の文章には胸を締め付けられた記憶がある。ところでこの方のブログ?えっ?シャーロック・ホームズ?おお、これは丁寧に時間を掛けて読まないとわからないね。何やら「膨大感」が凄いんだ。これからも無限に続きそうな感じってやつさ。ああ、これこそがブログの醍醐味ってやつだね。

 

 ん?この絵は一体何だろう?何が描かれているのか、まったく分からないままに恐る恐るクリックしてみる。あれ、ブログの冒頭に現れるアイコン、そうかこれがそのまま縮小されてこちらのブログに現れるって訳だね。という訳でそこに描かれていた絵はサキソフォーンを背にした、にこやかな男性の笑顔だった。Gutmanさん?腸の研究をしている人?いやいや、そんな訳ないだろう。きっと弦楽器奏者さ。そう思い書かれたものを読んでみると、ああ、有難いね。色んなものが次々と紹介されているが、そこには自分の好きな物を語る人間の良さが溢れているんだ。この手の文章は読者に元気をくれるからさ。ここはひとつ養命酒でも呷るように、じっくりと時間をかけて読んでみようかねえ。

 

                                                                                                           2019. 8. 31.