音楽史外伝 vol 2 ~中世・グレゴリオ聖歌~補遺

 今年の夏、具体的には2020年8月から、私にとっては初めての試み、「音楽について対話する」という事を始めた。きっかけは九州交響楽団でチェロ奏者として活躍しながら、同時に様々な企画に携わっている石原まりさんから勧めていただいた事にある。石原さんとは去年、知人を介して知り合い、会う毎にだらだらと脈絡もなく与太話を続ける私に、どうせならテーマを決め、いっそ石原さん個人のインスタグラムの中で、トークライブという形でまとまった話をしてみないかと持ち掛けて下さったのだった。

 

 その時、テーマとしてふと思いついたのが音楽史についてだった。予てから音楽の起源については興味があった。十年ほど前に体を壊し、思うように活動ができなくなった私は、その頃から歴史について調べるようになった。といってももちろん学術的な考察ができる訳でもない。そういう能力もなければ、資料もない。ただ喉の渇きを癒すように、知りたい事を調べるだけだった。

 

 ならば素人の目線で、学問としての音楽史を傍らから冷やかすような立場で自由に話してみようかと思いついた。その点に関しては石原さんからも、音楽について特に詳しくない方々にも聴いていただけるようにして欲しいという要望があり、私もそれに応えようと決めたのだが、それでも実際に始めみると、どこまで掘り下げて話すべきなのか、なかなか掴めないでいる。ともあれ手探りで始めたこの対話、言葉が足りなかったり、あまりに曖昧さが残り過ぎたという場合には「補遺」という形で、私個人のブログに綴っていく事にしようと思う。

 

 二回目の対話、「中世・グレゴリオ聖歌」に関しては微分音について、かなり曖昧にごまかしている部分があるので少しだけ補足しようと思う。ローマから派遣された聖歌指導者たちが、ガリア聖歌に馴染んだフランク人に対して古代ローマ聖歌を指導する際に、微分音の伝達に大いにてこずったというエピソードを紹介したが、私はその微分音について「方言みたいなものじゃないか」などという言葉でお茶を濁しているのだが、実際にははっきりとした数値でその微分音は表されている。(当時使われていた音律の作成者ピタゴラス自身はモノコードという器具を使って正確に音程を測定した。モノコードというのは板に一本の弦を張ったもので、ピタゴラスは五度の音程の上にさらに五度を重ねてゆくという方法で音律を作成した)。簡単に言うとその微分音とは、フランク人が馴染んでいたらしい純正音律に対する、ローマ人たちに染み込んでいるピタゴラス音律との音程の差異という事になるのだが、そこに触れると、そもそもフランク人が純正音律をどのように手に入れたのかという点にまで遡らざるを得なくなり、それは到底私などの手に負える事ではなく、ましてやそれを分かりやすく一般の方々にお伝えするなどと考えるとまったく不可能な事に思え、言葉にする事を断念せざるを得なかった。ただ、もし、正確な音程で歌われたグレゴリオ聖歌を耳にされる機会をお持ちの方は、是非、音階中第三音の音程に耳を傾けていただければ、純正音律に対するピタゴラス音律の差異、すなわち微分音というものを具体的にイメージしていただけるのではないだろうか。ちなみに十二の音でオクターブを分割する事を前提とした微分音という言葉に、私はいささかの違和感を感じ続けている。

 

 それにしても、じわじわと老人呆けの方に手繰り込まれて始めている私は、時に飛んでもなくおかしな事を口にしているが、明らかな間違いに関しては、石原さんが字幕をつける際にきちんと訂正して下さっている。新米の呆け老人としては、ただただ頭を深々と下げるばかりだ。

 

                       2020. 10. 11.