通信24-12 ウサギのように眠り続ける

 ここ数日の事、酷い体調不良に喘いでいる。喘いでいる?ああ、良い言葉だねえ。ぜいぜい、はあはあ、吐く息もふいごのようです・・・、うん、今の自分の様子をよく表しているじゃあないか。

 

 元々、今年の秋の入り口は、何となく体がおかしかったんだ。ともかくよく寝た。眠くて眠くてたまらないんだ。ウサギを手のひらの上で仰向けにすると、たちまち眠ってしまうというが、うん、まさにそんな感じさ。ベッドに横たわればたちまち高鼾って訳だ。

 

 でも、やはり何らかの必要があって眠っていた事がわかったのは、ちょいと不規則な一日を過ごしてみたからさ。その翌日からはたちまちふらふら。やじろべえみたい。頭が三倍にも膨れ上がった感じだ。ああ、この虚弱な体がボーリングの玉みたいに膨れ上がった頭の重さに耐えられないんだ。

 

 十分、二十分ほど譜面を書いては、ぐったりと眠る。悪夢に彩られた浅い眠り、そこに一時間ほど逃げ込んで、まだごそごそと這い出してきては十分、二十分と・・・。ああ、この悪夢ってやつが、私が書く音にどんな影響を与えているのだろうかと無駄に案じながら、心許ない執筆を続ける。うん、いいぞ、いいぞ、何やら滑稽じゃあないかね。私は滑稽な事が大好きなんだ。

 

 私もこのままデスノスのようになってしまうのだろうか?そう、デスノスってのはシュールレアリズムの詩人だが、一日二十三時間を寝て過ごし、目を覚ましている一時間の間に夢のお告げを話したり、書いたりしたらしい。そういえば詩人金子光晴が、パリに遊学していた時の思い出を書き綴っていたが、画家レオナルド藤田の家に居候していた時に、そこでデスノスを何度も見掛けたそうだ。デスノスという、眠ってばかりの変な詩人がいた、というような事を書いていて、私は何となく笑ってしまった。そのデスノスの肖像写真を一枚だけ見た事があるが、もちろん寝顔だった。ちなみにこのデスノス、フランス人だが反独パルチザンに加わっていた事から逮捕され、収容所で息を引き取る。確か四十歳の半ばだったと思うが。

 

 ともかくこの秋は作曲にとことん打ち込まなければならない。仕上げなければならない曲が二つある。チェロと木管楽器を使った連作の最終章と「水の流浪」の第三集。もちろん書いた譜面が音になる予定などないが。ともあれ、もう、私には本当に時間がないんだ。

 

                                                                                                     2020. 10. 12.