通信22-38 鶴の恩返しのように

 近所のホームセンターで座卓を買った。うん、まあ、卓袱台の事だね。仕事部屋の環境作りに励む今、仕事机を完成させる為さ。視力が弱い私としてはスロープが欲しかったんだ。四本足の卓袱台、そいつを仕事机の上に置き、四本足のうち二本だけを立てると、ほうら、上手い具合にスロープができるじゃないか。足の立て具合で上手い事、スロープの角度も調整できるぞ。うん、上出来だ。自分で設えてみて、ほうっと満足の溜息を吐いて見るものの、他人から見ると何やら継ぎはぎ感が凄いんじゃあないだろうか。まあ、いいさ、使い勝手がすべてさ。

 

 実は長い事、製図板が欲しかったんだ。昔、武満徹さんの家に立派な製図板があって、そう、その製図板が武満さんの仕事机だったんだ。ああ、これが何とも羨ましかった。大きな製図板の上の枠にはレールが付いていて、そのレールにぶら下がったこれまた大きなT定規で一気に小節線を引く姿が何とも職人めいて恰好良かった。

 

 もちろん、切実にそんな製図板が私に必要かというと、もちろんそんな事はなかった。ただの若気の至りってやつさ。ともかく偉い先生の真似をしてみたかっただけだろう。私には必要の無い物だったが、もちろん武満さんにとっては必需品だった。何しろ、この先生の譜面、大きいんだ。総譜ってもんはフルートからコントラバスに至るまで、一枚の紙にすべてのオーケストラのパートをずらりと並べて書くんだが、オーケストラが大きいほど、当然パートの数が増え、五線の段数が多くなる。確か武満さんは六十段以上もの五線が印刷された紙を普通に使っておられた。もちろん楽器店にそんな馬鹿でかい五線など売ってあるはずもなく、当然メーカーに特注という事になるんだが、おお、一枚につき五千円ほどもするそうだ。ちなみに私自身は三十四段以上のものなど使った事がない。この三十四段ってのが市販のもので最も段数が多いやつだ。ちなみに十枚で千四百五十円だったと思う。

 

 楽器の数が増えるほど、当然組み合わせの可能性は拡がるし、新しい響きを作り出す事も容易になる。ああ、でも私は音符が一杯に書き込まれた譜面を見るたびに、巨大化したオーケストラから紡ぎ出す新しい響きに何の意味があるのだろうかと思っていた。少なくともそれは作曲家の個性などというものではないように思っていた。今も思っている。

 

 ちなみに私がこれまでに見たオーケストラ用の総譜で、最も段数が多いものは確か百四十を超えていたと思う。作曲家の名前は、あれ、忘れてしまった。最近呆けが酷いんだ。ともかくその総譜の段数、ステージ上のオーケストラの人数分もあった。普通、オーケストラのメンバーの多くを占める、例えばヴァイオリンだとかチェロだとか、ああいうパートは皆で同じ譜面を演奏するんだが、その作曲家の作品の場合、一人一人に違った譜面が与えられているんだ。

 

 面白いのは演奏中、指揮者の真ん前に目立たないように人が潜んでいるが、そう、そんな巨大な総譜、指揮者一人でめくるなんて不可能だからさ、その潜んでいる人は指揮者と一緒に譜面をめくってくれる係の人なんだ。うん、何やら滑稽だよね。

 

 ともかく机の上に卓袱台を乗せたおかげで仕事の効率が上がるのは間違いないだろう。ああでも、いよいよ作曲する姿を人には見せられないね。まあいいさ。「鶴の恩返し」のヒロイン、「つう」みたいに誰にもその姿を見られる事無く、自らの羽を抜いて機に織り込むように、自分の身を削ってやるのが作曲ってなもんさ。

 

                                                                                                                2020. 2. 24.