通信26-13 ひたすら山の中をさ迷い歩きたい

 酒を飲み続けても酔わない、道を歩いていても気持ちが落ち着かない、新聞を読もうとしても文字がまったく頭に入ってこない。それはもちろん今が作曲の中休みの状態だからさ。本当は中休みって事で、すっかり気持ちを入れ換えたいんだが、ふと我に帰ると、頭の中でこれから書き出そうとしている音がぐるぐると腹の虫みたいに鳴り出すんだ。といってもそいつらは、その音たちは、いざ書き取ろうとすると、まるで活きの良い鰻みたい、掴もうとする私の手をぬるりとすり抜けて、遥か彼方へ逃げ出そうとするのさ。

 

 それにしても街中で物を書くってのは、なかなか慣れないもんだね。最後に根を詰めて物を書いたのはいつ頃だったろう。多分もう十数年も前の事さ。スケジュールをやり繰りして、二か月ほどの休みを作り、青藍山という山の仕事場にしけ込んだんだ。携帯電話も持たずに、まだその頃はパソコンもいじれなかったので当然インターネットもできない。どこまでも静かすぎる夜に耐えられなくなると、返事の来る当てもない葉書を知人に送りつけた。葉書を出すといっても、実際にはポストまで一時間ほども坂を下って行かなきゃあならなかった。

 

 何故か山に入る前には心が浮き立った。繁華街をゆっくりと回り、鉛筆や消しゴム、インクなどの文房具から、珈琲豆や食パンなど、これから山に籠るのに必要なものを買い集めていくのだが、うん、その時の気持ちを何と表現すればいいのかね、ロマンテックとでもいおうか、何とも甘やかな気持ちになるんだ。作曲ってものが一番楽しく感じられる瞬間さ。頭の中で好き勝手に音を遊ばせ、そいつがどこまでも膨れ上がるのを楽しみながら歩き回った。もちろんその楽しさは、まっさらな五線紙に向かいあった瞬間に消し飛んでしまうんだが。

 

 山に入って最初の数週間は、ともかくごろごろして過ごした。街に出ると、たちまち無神経に垂れ流され続ける音に出くわしてしまうので、そちらには一切向かわない。繁華街とは逆の方角にある小さな商店街、魚屋や八百屋の店先でささやかな買い物をする。一匹まるごと買ってきた鰤を、三枚におろし、半身を刺身で、残りを煮つけに、兜を焼いてと、数日掛けてじっくりと食い尽くす。そんな事を何度か繰り返すうちに突然食欲がなくなり、穴倉にすとんと落ち込むように作曲に落ち込んでしまう。

 

 作曲といっても作業自体はほとんど頭の中で行い、手を動かすのはわずかなメモを取るときぐらいだ。体はというとほとんど山の中をさ迷い歩くだけだ。うん、やっぱりこれだね、大切なのはさ。街中ではこの「さ迷い歩く」という行為ができないんだ。まず五月蠅いしね。仮に音を遮断できたとしても、人の目は避けられない。街中をぐるぐる回っていると、たちまち与太郎爺などと指を指される事になってしまうだろう。

 

 とにかく今年中か、来年の始めには、オーケストラを使った協奏曲を書かなくちゃならない。もしかしたらそれが最後の作品ってな事になるかもしれないね。うん、辞世の句ってやつさ。ならば思い切り打ち込んで、また無理をしてでも山に籠ろうか、ああ、いっそアジアの知らない街の片隅にでもしけ込む事ができないだろうか。いやいや、これからちょいとレッスンに出掛けて、明日の朝になったら今書いている曲の二楽章に入り込まなきゃあならないんだ。楽しい妄想で頭を膨らませるのはまたこの次にって訳さ。

 

                                                                                                          2021. 5. 31.