通信26-12 現実音に侵された夢にうなされる

  昨日は仕事を終えても興奮が静まらず、布団に潜り込んだものの目が冴えるばかりで、そのままふらふらと近所のスーパーに出掛け、おっ、なかなか良い鯛があるじゃあないかと、早速買って帰ったそいつを三枚に下ろし、冷蔵庫に残っていた酒で空っぽの胃袋に流し込んだ。あれれ、たちまちやじろべえみたいに体がぐらぐらと揺れ出したぞ。そうか、眠れないのは空腹のせいだったのかと、思う間もなく眠りに落ちてしまった。

 

 夢の中の私は、見知らぬアパートの廊下をとぼとぼと歩いていた。すでに日は暮れていて、夕方の薄暮の中、不動産屋のお姉さんの背後を、あまり弾まない会話を苦痛に感じながら従いて歩いた。そのお姉さん、何だか人生に疲れているみたいで、やさぐれ感がなかなかに強いんだ。有名人に喩えると、スナックのカウンターの向こうにいる女を演じている時の伊佐山ひろ子さんみたいな感じさ。

 

 お姉さんから鍵を受け取り部屋に入ると、そこはもうすっかり夜の暗さに包まれている。もちろん荷物の一つもない、引っ越したばかりの部屋に入った時の、期待が入り混じった寂しさに身を浸していると、ん?窓の外から騒がしい男女の声がする。急いで駆け寄り、磨り硝子の窓を開くと、おお、道を一本挟んだ向かいのビルはその一フロアがまるまる雀荘になっていて、その店の中で若い男女が何組も、チーポンカン、チーポンカンと麻雀に興じていた。その雀荘の中がともかく明るいんだ。窓枠には田舎の居酒屋みたいに、桃色の提灯がずらりと並んでぶら下げられていて、これまた田舎の商店街みたい、セルロイドの花や、笹の葉、それに万国旗が至るところに飾られている。

 

 窓から街を見下ろすと、それほど太くもない道がただただ一直線にどこまでも伸びている。その道を挟んで両側に建ち並ぶ建物はすっかり煤けて角がまるくなったような古ぼけた背の低いビルばかりだ。道沿いには真っ赤な提灯がずらりと並び、ともかく明るい。その明るい道の背後に控えるビルは何故かどれも怪しげで、何かとんでもないものが潜んでいる事が一目でわかるようなものばかりだ。ここは一体どこなんだ?香港?上海?マカオ?・・・うん、夢の中の私が何歳なのかは知らないさ。でも、何だかね、もうひと暴れできそうな気持ちが腹の底からむらむらと湧き上がって来て、うん、何やらにやあと笑みが浮かんでくるんだ。

 

 えっ?思わず暗い部屋の中を見渡したのは、突然古い昭和歌謡が流れ出してきたからさ。おいおい、随分とうるさいぞ。あれ、この声?さっきこのアパートを案内してくれたお姉さんの声じゃあないのか?そうか、これがこのアパートの住人に対する不動産屋からのサービスなんだ。くそ、冗談じゃないぞ。こんなサービスを押しつけられるのは御免だぜ、と音源を探すと、おお、壁に神棚みたいなものが備え付けられていて、その棚の上に古いが、結構大きなスピーカーが据え付けられているじゃあないか。

 

 何とか音を止めようとじたばたするが、一向に止め方が分からない。そもそもアンプなどなく、ただ招き猫か、達磨のようにスピーカーが鎮座しているだけなんだ。そのスピーカーからは無数のコードが延びていて、よし、ともかくこのコードを引き千切れば音は止むだろうと次から次へと引き抜くが、音は止む気配がない。

 

 ふと目を覚ますと、枕元のラジオから歌が流れていた。ああ、藤圭子さんの名曲「京都から博多まで」じゃないか。そうか、このラジオの歌声が私の夢の中に流れ込んできたって訳か。ん?窓の外からは時折、破裂するような若い男女の嬌声が聴こえる。うんうん、こいつらが雀荘の客の正体って訳だね。そうか、私は現実音に弄ばれた夢からようやく生還したって訳だ。

 

 最近、斜め向かいに新しいマンションが出来たんだ。元々は古いクリーニング屋と駄菓子屋があった土地さ。その駄菓子屋、以前は近くにある福岡高校の生徒で賑わっていた。もしかすると長谷川法世氏もくらたまさんも買い食いに立ち寄っていたのかと思いを馳せると、何やら感慨深いものがあるね。それはともかく新しいマンションに引っ越してきたばかりの男女が、最近流行りの家飲みってやつを楽しんでいるところだろうさ。

 

 時計を見ると、夜中の一時半だ。うん、今の自分に足りないものは、そうだね、そいつはやはり酒だね。という訳でJRの駅前にあるスーパーを目指してふらふらと深夜の街に出掛ける事にした。

 

                                       2021. 5. 30.