通信26-14 八雲の向日葵

 私が耳にした限りでは、今年初めて蝉が鳴いたのは七月の一日だ。七月一日?うん、この蝉ってのも何だか律義な奴らだねえと心の中で笑いながら、さて、私もそろそろ目を覚まさなくちゃあいけないね、などとぼんやりと考えた。

 

 いつも使っているスタジオが、伝染病のために閉鎖になったのが五月の中頃。そこからいきなり作曲に入り込んだ。という訳で、いずれ書かなけきゃあならない、いつも私の腹の中に腫瘍のように巣食っているその音の塊に、突然向かい合ったんだ。四つの楽章仕立てのその曲、そのうちの三つを書き上げたところで、あれ、これから書こうとしている最後の楽章が随分と物足りないものに思えてきたじゃないか。ならばってんでひとまず筆を置き、そのまま一気に書き上げる事を諦め、不貞腐れたようにごろごろとした生活に落ち込んだのが先週だったか。丁度、スタジオが稼働を始め、書きかけの作品から逃げるようにスタジオに潜り込み、ひたすら楽器を攫い続けたここ数日だった。

 

 そういえば先週末はとても素晴らしい作品に出合った。大いに出不精の私だか、知人に招待券とやらをいただき、ふらふらと出掛けたのは、小泉八雲の怪談の中の一篇、向日葵(確か八雲の原作では「日まわり」ではなかったか)を小さなオペラ仕立てにしたもの、その演奏会に出掛けたんだ。

 

 ああ、やはりたまには外に出てみるもんだねえとしみじみ思った。うん、久々に心とかいうやつがさ、ぐるぐると動いたんだ。作曲は藤枝守氏。歌い踊る一人の演者と、四人からなる小さな合奏体。小さな編成ながら、とびきり密度の高い空間に居合わせる事となった。

 

 それにしても半世紀以上も前に流行ったアメリカの実験音楽、それが血肉の通った作品として結実(というのかね、あるいは昇華)するさまを目の当たりにして、私は不思議な感動を覚えたんだ。もちろん実験音楽なんて、いくら実験を繰り返したところで作品になり得るものではない。ここでは藤枝氏が長年培ってこられたのであろう、様々な音楽の要素が、実験という枠組みをすっかり覆い尽してしまったという感じだね。例えば旋法という一つの要素を取り上げてみても、それは単に藤枝氏の教養というものではなく、もはや血肉となってしまっており、実験を揺さぶるには十分すぎるほどの力をもっている。つまりさまざまな要素は、一つ一つが切り離される事なく、すべて溶け合って存在しているんだ。突然現れたフィドルによるアイルランド風の旋法すら何の違和感もなく作品に色を添える。いやいや、これは誰もができる事ではないんだぜ。

 

 八雲の怪談、その中でもこの「日まわり」という一篇には不思議な存在感がある。物語の中に突然エッセイが割り込んでくる、うん、そんな感じだね。といっても、もちろん驚くには当たらない。ほら、我々には上田秋成の「春雨物語」があるじゃないか。最近の作品なら中上健次の「熊野集」はどうだい。作者自身が物語の毒を喰らい、その物語という装置の中にいつの間にか迷い込んでしまう。物語は豊かになりこそすれ、破綻を見せる事はない。すべてを飲み込んでしまう装置、それこそが優れた作品ってなもんだ。

 

 素晴らしい演奏会だった。でも世界の音楽産業にはこの演奏会を掬い取る事は出来ない。それは悲しい事かって?いやいや、そう考える事こそ傲慢で滑稽な事だ。良い音楽ってのはさ、ただそこに存在するんだぜ。風がどこからかそっと運んできた種子が結実するかのように、この世界の、この国の、この街のどこかで、ひっそりと美しい花のように咲き、消え、また新たな花を咲かす。うん、それだけさ。その花をたまたま目にする。ああ、これこそが幸せってなものなんだ。

 

 さて、ともかく三年寝太郎と揶揄されても仕方がないようなこの私も、ようやく目を覚ましたんだ。さあ、下書きに入ろう。松露を集めるように、音符を拾い集めるんだ。あと二つ三つ季節が変わるまでに新しい協奏曲を書かなきゃあならないんだ。

 

                                                                                                            2021. 7. 2.