通信22-11 ブラジルの夕暮れを渡る風のような

 この一週間、大いに浮かれた。まるで中学生みたい。思春期の蒼白い小僧のように遊び回った。といっても何をしたって訳じゃあない。私の脳味噌、うん、そいつが浮かれて夢と妄想の中をひたすら遊び回ったんだ。もはや私の頭に鳴っている音、そいつは軽薄な祭囃子さながらさ。それにしても何だか無茶苦茶に密度の高い一週間を過ごした。うん、まずいね。この緊張、体がもたないよ。ほうら、心臓がきりきりと音を立てているぜ。目玉だってくるくる回っている。ああ、今自画像を描くのは簡単だ。眼鏡の中に蚊取り線香を描けばいいのさ。

 

 さて、浮かれるのも昨夜までだ。昨夜?そうさ、昨夜は街のライブハウスに出掛け、うん、慣れないね、このライブハウスってやつ、何やら格好いいお客さんがてんこ盛りだ。満員の店内を椅子を求めてうろうろ、本当は立ち見が好きなんだけど、一人だけ立ってたらやっぱり目立つだろうしね、ステージも見えないような店の隅っこ、人と人の隙間にこっそりと潜り込み、ソファーに蹲ったまま耳だけをウサギのようにぴんと立ててさ、ああ、いいね、そのライブ、ブラジル音楽をずらりと並べたものだった。暮れかかった夏の空をふっと風が吹き抜けるようなチェロの音に耳を澄ましていると、くそっ、鼻の奥がつんと痛くなるじゃあないか。目頭ってやつがさ、ああ、じわりと熱くなってくるじゃあないか。呆け老人みたいに涙が溢れてくるじゃあないか。

 

 まるでテキーラを飲み過ぎてふらふらになったような役立たずな頭を肩に乗せ、ふらふらと博多の街を歩く。ジングルベル、ジングルベル、きよしこの夜と流れてくる浮かれ囃子を拒みもせず、それらの音に流されるように歩き続ける。細い路地に入り込み、浮かれ囃子が途絶えると、ああ、たちまちチェロの音が体の中から湧き上がってくるんだ。くそ、何とかしなきゃあ、このままじゃあ緊張のあまり死んでしまうぞってんで、家に戻り酒を飲み続けた。深酒。たがが外れた酒樽みたい、体中の穴という穴から酒が漏れ出してくるぐらいに飲み続け、うん、まさに鯨飲ってやつさ、そして一晩寝ると、ああ、やっと正気に戻ったという感じだ。もういくつ寝るとお正月?知るもんか。ともかく一晩ぐっすり眠って作曲する自分ってやつを取り戻したのさ。さあ、落ち着いてじっくりと自分の中に眠り続けていたチェロの音を一つずつ丁寧に引っぱり出してやろう。

 

                                                                                              2019. 12. 22.