通信27-1 ようやく長い仕事を終える

 人生とかいうやつの最後の最後に思い切り燃え尽きようと、「あしたのジョー」とかいう漫画の主人公みたいに真っ白になってしまいたいと、うん、ともかく作曲に打ち込んだ一年余りだった。極力言葉っていうものと離れ、あらゆる事柄を音の仕組みの中で考え、そうして紙魚っていうんだっけ、あの古紙にくっついている小さな白い虫、あの虫みたいに五線紙に齧りついて暮らしたんだ。

 

 昨日?一昨日?うん、いつだっていいさ、ともかくごく最近、最後の譜面を書き上げ、送られてきたゲラに、とっても昔みたいに封筒で送られてきた譜面の束に赤鉛筆で訂正を書き込むってな訳じゃない、机の上に鎮座するパソコンの画面に顔を摺り寄せるように近づけ、直して欲しい点をメールで送りつける。そうして最後に送られてきた最終稿にミスが無い事を確認し終え、にやあっと笑い、「校了でえす。お疲れ様」というメールを送り、湿気た布団に転がり込む。

 

 いつもなら自分にとって大きな仕事を終えた後、気分転換にとフェリーニの「8 1/2」というDVDを観て、梅雨のようにじめじめと自分を湿気の中に溺れさせる作曲という仕事とひとまずの区切りをつけるんだが、おお、何という事だ、今回はDVDなどとけちな物には頼らないぜ、うん、仕事部屋から歩いて二三十分の距離にある中洲太陽という映画館にその「8  1/2」が掛かっていたんだ。

 

 ああ、まるで奇跡じゃないか、この映画を再び大スクリーンで観れるなんて、などと浮かれに浮かれ、「となりのトトロ」とかいう映画の中で流れていた「歩こ、歩こ、私は元気」などという変てこな歌で頭を一杯にして、朝っぱらから雨上がりの博多の街を意気揚々と映画館に向かったんだ。

 

 久々の映画館、あれ、スクリーンってこんなに遠かったっけ、などと呟きながら、眉間に皺を寄せ、すでに疲れで五線紙が六線紙に見え掛かっていた眼球を叱咤激励し、思い切り映画を堪能した。ああ、スクリーンに向かって私の眼球、きっとラグビーボールみたいに伸び切っていただろうね。ちなみに割と最近、この映画をKBCシネマとかいう小劇場風の映画館で観たんだが、やっぱりフェリーニの映画、画面はでかいほどいいね。ほら、スクリーンに次々に現れる人々の顔、まるで古代ローマ時代に描かれた壁画じゃあないか。

 

 ともあれ久々に文章を認めている。来年の三月、ADSLというシステムが終わり、それに伴って光回線というものに切り替えろという通知が、日々押し寄せてくる。ああ、うるさい。もういいよ。三月になったらインターネットといかいうものともすっぱりと縁を切る事にした。ついでに不動産屋からの勧誘と無言電話を受ける以外にほとんど役に立っていない屋内電話とも縁切りだ。いずれにしろ来年の三月、インターネットなどとは無関係に、私の暮らしはたぶん大いに変わる。さあ、作曲とかいう人生の苦行も終わった事だし、うん、子供が夏休み、長い午後をどう過ごそうかとわくわくしながら考えるように、私も三月までをどう過ごそうかと考えているところなんだ。

 

                               2022  10  21.