通信24-20 とうとう包丁が切れなくなってしまった

 毎日丁寧に研ぎ続けた包丁が突然切れなくなった。何故?百均ストアーで買った出刃包丁とはいえ、日々の研磨で随分と研ぎ澄まされていた筈だぜ。うん、ルーペを使ってよく見ると、ああ、妙に波打つような形になってきているじゃないか。多分、もうこれが限界じゃあないのかね。素材、そいつが駄目なんだと思う。研ぎ方が悪いからだって?もちろん上手く研いでいる自信なんかないさ。それでもほぼ同じように毎日研いでいるもう一本の包丁、もう二十年以上も使っている三徳包丁、そいつの方は「切れば玉散る氷の刃」とまではいかないが、なかなかの切れ味を保っているんだぜ。

 

 ずいぶん昔の事だが、とある管楽器工場で、楽器の材料となる板金を見せて貰った事がある。高級機種用のものと、教育現場で使うようなお買い得なものを並べて。窓から差し込む光に、酷いほどにはっきりとその違いが見て取れた。高級機種用のものは、一流ホテルのベッドのシーツのように皺一つなくそこに横たわっているし、安物用の方はぐにゃぐにゃと波打っている。つまり安物用はムラがあるんだ。なるほど、これだと楽器全体に均一な響きが広がる事などないだろうね。

 

 中古の金管楽器のコレクターは年代に大いにこだわるそうだが、例えば戦争や不況など、さまざまな事件が起こるたび、使う事の出来る金属の質がいちいち大きく変化するので、制作年を知る事は非常に大切らしい。

 

 日本はやはり欧州に比べると金属加工の点では大きく遅れているそうだ。欧州では中世の頃より金属をそれぞれの街の修道院で作っているので、教会の鐘の音は一つとして同じものがないという。美しい澄んだ音を、しかも街に隅々にまで響き渡るような音を出せる鐘を作るための材料、その金属の調合の仕方は各修道院で門外不出のものらしい。

 

 私自身は楽器の材料を作る工程を見るのがとても好きで、機会があればどこにでもぐいぐいと入り込んでゆくのだが、いちいち驚く事ばかりだ。その中でも一番衝撃を受けたのは弦楽器の弓、その弓の材料となる馬の尻尾を加工する工場、というより「こうば」という感じの小さな作業場、そこで目にしたものだが、うん、やはりここでは書かない事にする。そうだね、もし私が映画やドラマにでてくる謎の老人なら「今はまだ話しますまい・・・」などと口を噤むところさ。

 

 それで、ええと、何の話かというと、そうだ、包丁、百円の包丁が切れなくなったという話。うん、やはりこれはいくら研いでも無理だろうね。諦めてある程度まともな包丁を買いに行こうかな。ああ、一度出刃の切れ味を憶えるともう戻れないんだよね。あの片刃独特の身離れの仕方ね。やはりここは無理をしてでもまともな包丁を買おう。くそ、それにしてもサキソフォーンのマウスピースなど注文するんじゃなかった。

 

                                                                                                     2020. 10. 25.