通信24-18 新しいマウスピースを置物に

 災難は忘れた頃にやってくるという諺があるが、注文した事をすっかり忘れかけていたサキソフォーンのマウスピースが届いた。ん?自分にとってマウスピースというのは災難の一つなのだろうかと考え、そんな馬鹿な事を考える自分をしょうもない男だと嗤う。

 

 マウスピース?うん、ボクサーだとかラグビーの選手が歯を守るために口に咥えるあれじゃあないよ。管楽器と人体を繋ぐささやかな道具さ。ささやかなと言っても単に楽器に比べて小さいというだけで、その役割は大きい。極端に言うと、楽器なんて少々凸凹でもどうって事ないが、このマウスピースってやつが出来損ないだったらいい演奏をする事は難しい。

 

 マウスピースを注文した事など忘れていたと書いたが、いや、注文したという事実は憶えている。確かこれから夏の盛りに入ろうとしていた頃だ。ああ、ただマウスピースを注文した時の気持ちが思い出せないんだ。今更新しいマウスピースなど手に入れて、一体何をしようとしていたんだろう?

 

 まあ、それも夏の暑い真っただ中の出来事さ。お天道様に頭を炙られ、朦朧とした意識の中で何やら若い時の夢でも見るように、ふと注文してしまったのかもしれないね。夏、そいつが私の干からびた頭の奥から、意欲?うん、何やらそんな役に立たない物を引っぱり出したんじゃないだろうか。

 

 最近では、朝スタジオに入り、楽器を咥えてはみたもののろくに音も出ず、音の代わりに憂鬱な気持ちが腹の底からじわじわと湧き上がってきて、眉間に皺を寄せながらサキソフォーンのケースをぱたんと閉じ、代わりにピアノをさらうという事が多い。春先頃から始まった不調、次第にそんな日が増え、やがて私の貧相なカレンダーはその不調とやらに塗り潰されてしまう。そうなるともうそれは不調でも何でもない、単にそういう人間になってしまったという事なんだ。

 

 まあ、そうなったからといって誰が困る訳でもなし、もちろん大した事じゃあない。人様からすればむしろ世の中から僅かながらも騒音が減り、喜ばしい事さ。私からすれば隠し芸が一つ減ってしまうというちょいと残念な事ではあるが。いやいや、自分にとっても悪い事じゃあない。お陰で原稿に向かう時間がぐんと増えたんだ。そうさ、この隠し芸に私はちょいと入れ込み過ぎていたんだ。さあ、余生とかいうやつ、そいつをすべて作曲という沼にぶち込んでやるのさ。うん、それに関しては何一つ迷いはないね。

 

 ところで送られてきたマウスピース、そいつはかなり良いものなんだ。多分1920年頃に盛んに使われていたもののレプリカさ。置物として部屋のどこかに飾っておこうかな。そうだね尻尾と耳をつければ鼠の置物に見えない事もないぞ。

 

                                                                                               2020. 10. 23.