通信28-18 日記を書くように小品を書き続けたい

 ここ数か月、サキソフォーン一本のために編曲を続けている。気持ちは静かだ。多分これまでに一度も味わった事のない静かな心持で毎日を過ごしている。去年の今頃はどうしていただろうか。そうだ、まだ形もよく見えていないピアノ四重奏の芽を腹の中に腫瘍のように抱え込んで、街中をさ迷っていたんじゃなかっただろうか。ともかく心の中がざわざわしていた。いや、それは去年だけじゃないだろう。生まれてこのかた、ずっとそのざわざわを抱え込んで生きてきたんじゃなかったか。今、初めて静かな心持でいられるようになったそれは、うん、もう何でもかんでもうまい具合に諦める事ができるようになったからじゃないのか。

 

 去年、どこぞの美術館だか、博物館だかに、新しく発見されたばかりの北斎の連作を見に行った。連作?いや、連作という感じじゃあないな。日記のように毎朝、描き続けた魔除けのお札みたいなもんさ。その自然な筆の運びにとことん感動したんだ。

 

 この私も、うん、無能なのは百も承知だが、それでも北斎にあやかりたいね。そう思い、小さな編曲を始めたんだ。たまたま近所に住むお姉さんが、それを動画にしてくれている。ああ、自分の磨り潰すように生きてきた老人の晩年にしては上出来じゃないか。そう思いながら今日も一日机にへばりついている。