通信27-11 楽しい動画を撮りたいな

 それにしても眩暈が酷い。この眩暈ってやつはとことん人を臆病にするんだ。特に私のような見栄っ張りは道端で倒れるのが怖くて、ちょいと近所に出掛けるのにも覚悟ってやつが要るんだ。そういえば最近ある人から有難いお手紙をいただき、是非近々酒でも、お茶でも御一緒にという返事を認めたものの、なかなか会いに行く勇気が出ないままでいる。

 

 昔、フランスの宮廷では美しく失神するのが流行ったそうだが、うん、貴族の女性が「あれえ」などと呟きながら、額に羽根の扇子をかざし、ふらふらと倒れるのが似合う気もするね、私など美しいかはともかくリアルに倒れるので結構な評判を取れるんじゃないだろうか。そういえば私が子供の頃、コンサート中に興奮して失神する「失神愛ちゃん」と呼ばれている変な人がいたな。最近では欅坂だっけ、そんなグループの中の「てち」という人が演奏中に失神して仲間たちから担ぎ出されていたような。メンバーは四十六人もいるなら、みんなで担ぎ出すとお神輿みたいになって楽しいかもしれないね。ともかく倒れるってのは何か美しく、有難い要素を持っているものなのかもしれない。

 

 などと馬鹿な話を書いているうちに、たらりと冷や汗が流れるのは、数年前に散々悩まされた右方向型旋回症が再発するのではと思いついたからだ。うん、あれはなかなか辛い体験だった。普通に歩いているつもりなのに、体は常に右へ右へと吸い寄せられるように進んでいくんだ。「右へ右へと草木はなびくうぅぅぅ・・・」ってなもんさ。そこにガードレールがあったりすると、ガードレールを越えてころりと車道に転がり出た事もあった。こうなると散歩も命がけってなもんだね。

 

 ともあれ以前のメールから、去年の夏は「水の流浪」という曲に集中していた事がわかった。多分書き上げたのが初冬、二十年以上も書き続けていた連作をようやく終える事ができてほっとしたってな訳だね。もうその時の気持ちは忘れてしまったが、多分これで自分自身に対するノルマは果たせたと思ったはずだぜ。それでさあ、どうやってぼろぼろの人生にかたをつけようかなどと思っている時に、旧知のO氏から連絡をいただき、そのまま四重奏の作曲に流れ込んだのが今年の夏だ。

 

 思えば多分、大いに充実を噛み締めた二年間だったんじゃないだろうか。作曲すると大いに体が火照る。その火照りの余熱を楽しむように数日前からサキソフォーン一本の為に、うん、思いつくままさ、作曲も、編曲も、なんでもかんでも思いつくままに好きなフレーズを五線紙に書き落している。ほとんどが二三分で収まるような小さなやつばかり。そいつらを自分で演奏して、動画に収めてもらう、じつはそんな約束があるんだ。約束?誰と?ああ、親切なご近所さんだ。

 

 まだかろうじて人様の前で棒にも箸にも掛からない下手糞な演奏をさらけ出していた数年前、その演奏を欠かさず聴きに来て下さった奇特な御仁が近所にお住まいなんだ。まだまだ私などよりも随分とお若いその御仁に、爺さんが孫にせがまれてお話をするような、そんなふわっとした動画を撮ってもらおうとしているんだ。

 

 動画?うん、いいねえ。多分私は畳の上でくたばる事はないと思う。人様の目に自分の死骸を晒すような真似はしたくないからね。犬猫みたいにさ誰も知らないうちにいつの間にかいなくなる、そんな消え方が理想なんだ。でも万が一下手を打って、誰かお節介な人に見つかり、葬式とやらを開いてくれるような羽目になってしまったとしたら、ほら、遺影ってやつの代わりにさ、この小さな動画をタブレットかなんかを使って祭壇の上で回し続けてくれるといいな。ああ、そう考えるとね、やはり笑えるものを作りたいね。笑ってほのぼの、うん、それが一番さ。

 

                                                                                                              2022/ 11/ 7.