通信27-10 年中行事を失う

 ホールを出ると暗い空を見上げ、頬を掠める冷たい風に、もう手が届くところまで冬が来ていると実感する。毎年、この時期になると楽しみにしていた、自分にとって年中行事のようなコンサート、福岡室内合唱団のコンサート、そいつに今年も出掛けた。

 

 伝染病のせいでここ数年、中止になっていたコンサートだが、ようやく再開かと思った今回が最後のコンサートとなるそうだ。まったく残念としかいいようがない。創立から一度も欠かさず指導をしていた指揮者が勇退されるという事で、解散という経緯に至ったとの事。なるほどと淋さを感じながらも納得する。

 

 一言で表すならば静謐、そんな印象をもつ合唱団だった。穏やかでありながら常に新しいレパートリーにも意欲的に取り組んで、それでいて衒学的なところも、嫌味さをも、微塵も感じさせない、そんな存在に心からの敬意を表する。

 

 今回はサンバや、ジャズのスタイルを持つミサ曲が演奏されたが、歌詞はラテン語の定例文のままで、やわらかいサンバのフレーズに乗った「神よ、憐れみたまえ」という言葉をどう受け止めていいのか戸惑ったが、なあにそんな細かい事はどうでもいいさと江戸っ子気分で楽しんだ。

 

 コンサートをというよりもこの合唱団の最後、そいつを締めくくった曲は林光先生の編曲による日本の有名な歌曲集だが、改めてこの曲を聴き、われわれの父親の世代になる林氏の編曲が、例えば転調の仕方、モチーフの重ね方、歌詞の処理など、あらゆる面で後の世代に強い影響を与えた事を改めて感じた。

 

 送られてきた招待券をよく見ると、「この券でお二人まで云々」の記述があるじゃないか。ならばと時折お世話になる和菓子屋のお姉さんを誘ってみた。最近は人と会う時に和菓子を手土産代わりにぶら下げてゆくんだが、それでいて和菓子の事などまったく知らない私に、丁度いい塩梅の菓子折りを作って下さる方だ。日頃の御恩に報いるべくお誘いしたのだが、どうやら気に入っていただけたみたいで秘かに胸を撫でおろす。

 

 福岡市の東部にある新しい街、しばらくは急速に発展していたかのようだったが、やはり伝染病のせいだろうか、ぽつぽつと増え始めていた飲み屋のほとんどが消え去っていた。暗い街を一回りしながら、街の発展を飲み屋の数で判断する自分の意地汚さを心の中で嗤う。

 

 店が消え去ったその街を離れ、電車で数駅先の少し大きな街にある、ともかく敷居の低い居酒屋に潜り込み、お姉さんのコンサート評を聞きながら酒を飲む。うん、これこそが身の丈にあった幸せってなもんさ。お姉さんの声に、店のスピーカーから流れてくる少し古い歌に耳を傾け、胸の奥でぐずぐずと燻る寂しさを宥めながら酒を飲み続けた。ああ、あの合唱団もついになくなるのか。そうさ、最近は何かが消えてゆくという事に敏感なんだ。やはりお姉さんをお誘いして正解だった。そうでなければ私は夜の街をうろつきながら迷子のガキのように涙を、鼻水を、ずるずると流し続けていただろう。

 

                                                                                                       2022/ 11/ 6.