通信27-9 譜面を書くという事は

 去年今頃、自分が何をしていたか、もちろんそんな事とんと思い出せない。何しろ引退して引き籠っている年寄りには曜日ってもんが無いんだ。週一で社交ダンスの会や、囲碁クラブなどに出掛ける習慣でもあれば、少しは生活のサイクルってのができるのかもしれないが、私はその手のものはまったく縁がない。いや、曜日どころか日付すらも我が怠惰な生活を支配する事が無い。まったく同じような日が、深夜の入院病棟の廊下のように無限に続いているように思える。そうだね、今日は暑い、寒いぐらいの違いは感じているかな。

 

 ふと思い、パソコンに眠っている過去のメールを見返してみた。去年の晩秋から冬に掛けて、私は我が心の譜面屋、谷商店の店主である谷さんとさかんにメールのやり取りをしていた。そうだ、確かブログを書かなくなったのが去年の夏、七月、丁度その頃から冬に掛けて「水の流浪」という連作に集中していたんだ。やり取りしたメール、そいつはもちろん書き上げた譜面の校正メールって訳さ。

 

 水の流浪、ああ、タイトルだけは立派だね。そりゃそうさ、大詩人にしてフーテンエロ爺、わが敬愛する金子光晴の詩集のタイトルを勝手にぱくってきたんだ。私には一生浮かばないような素晴らしいタイトルさ。でもそのタイトル、その言葉を改めて噛み締めるだけで自分の中から滔々と音が溢れてきたんだ。

 

 まだ前世紀の話さ。私はふと思いついて水の流浪という名前の小品を書いてみた。サキソフォーンとピアノための駄菓子のような小品。当時組んでいたピアニストとのライブのために。よく言えば自由、実は単に「ゆるいだけ」という内容のライブを我々は嫌というほど繰り返した。それらの小品が七つ?八つ?ともかく押し入れの中の古着のように溜まってきた頃、ピアニストは私の元を去り、演奏する機会がなくなったそれらの小品をきちんと譜面にまとめようと思った。うん、ライブで使う曲、私はそれらをほとんどメモに毛が生えたぐらいの状態で放り出していた。メモにそって即興で演じる、それで充分だと思っていたんだ。

 

 書き溜めていた主題をもう一度分析し、その主題が持つ可能性を吟味し、すべての音を細かく書き込んでゆくと作品はたちまち重層性を帯びてくる。うん、良く言えばね。悪く言えば重苦しく不自由になってゆくんだ。いや、その是非は今は問わない、ともかく書かれた音楽と即興で演じられる音楽の違い、そもそも何故人は譜面などというものを書くに至ったのか、譜面の中に封じ込める事ができる音楽、それは一体どういうものなのかという問いが一気に自分の中から噴き出してきた。

 

 去年はたまたま音楽の歴史について改めて考えてみた。福岡在住のチェリスト石原まりさんに尻を蹴飛ばされながら、しどろもどろ、噴き出す汗を拭いながら音楽の歴史についてある事ない事、適当な与太話を繰り返したんだ。石原さんのSNSで繰り返した与太話が終わった頃から、改めて自身が考えるべき問題として音楽の歴史が浮かび上がってきた。さまざまな歴史の中で、私にとって最も切実な問題、それが記譜法の起こり、人は何故譜面というもので音楽を現そうと思ったのかという問いかけだって訳さ。

 

 私自身、長い事、何の疑いもなく書かれた音楽を再現するという世界で過ごしてきた。その事をきちんと問い詰める事で今、われわれが音楽と呼びならわしているものの本質が見えてくるとそう思っているんだ。そう思っているあたりで、ああ、目が翳み始めてきたぞ。という訳で今日の与太話はこれでおしまい。

 

                                                                                                       2022/ 11/ 3.