通信28-7 汚れた手癖をなくしてしまいたい

 新しい眼鏡がくすみきった私の日常に明るい光と、微かなこめかみの痛みを運んできた。うん、新しいが故につるの部分の締め込みがきついんだ。ともあれ短くはあるが、言葉と戯れる時間が戻って来た事は嬉しい。

 

 ここ数日は、誰もが知っているような歌をサキソフォーン一本で演奏できるようにと、編曲に頭を突っ込んでいる。最初はすべてをアドリブで処理しようと思ったが、そうなると結局自分が馴染んだ手癖ばかりが目立つものになってしまうだろう。歌ひとつそこに在らしめるためには何が必要か。旋律、ベース、コード、対旋律・・・、そう絞り込んでゆくと手癖に頼る演奏では、到底折角の素晴らしい原曲を再現する事などできない事が痛いほどにわかってきた。

 

 旋律の音と音の間に的確なベースを配置する。ベースは自然とコードの進行を示唆する・・・。まあ私ごときが今更そんな事をいうまでもなく、例えばセバスチャン・バッハの無伴奏作品に取り組まれてきた方々ならそんな事はあまりにも自明だが。

 

 ともあれぺらりと紙一枚に書き落された歌を持って練習場に入る。自分の手癖を一切鑑みない状態で書かれた譜面は、一見簡単そうだが途轍もなく演奏し辛い。ああ、もう少し早い時期に、このぐずぐずの体が少しでも自由に動かせた頃に、もっと基本的な音の動きにきちんと取り組むべきだった。それでも今、牛歩のようにひとつ、またひとつのノーマルな動きに対応できるスキルを手に入れるたび、どんな状態になってもやはり前進はできるのだと嬉しさを感じてもいるんだ。