通信21-42 富嶽三十六景と鳥の歌

 「しまった」と何度も握った拳で自分の膝を叩きながら顔を歪め、後悔に首を振り続けている。自分でも何故だか分からないが、ふと思いついて「富嶽三十六景」の画集を買ったんだ。これまで北斎といえば肉筆、そう思い上がった事を嘯きながら、この画集を顧みる事がなかった。送られてきた画集を眺めて、ああ、水から上がったばかりに犬みたいに体をぶるぶると震えさせたね。今、じっとりと汗ばみながら、この画集を舐めるように眺めているところさ。何が凄いかって、いやいや、それを口にするのはもう少し後の事だね。今できる事はただただ開いた画集から吹き寄せてくる風に、痴呆のように曝され続けるだけだ。

 

 小学生の頃はともかくこの版画が欲しくて永谷園のお茶漬けをせっせと食いまくったもんさ。何枚だったか忘れたが、ともかくおまけの浮世絵カード、そいつをある枚数だけ集めると大きな版画集と交換してくれるんだ。ああ、でも、その頃必死で集めたのは、うん、実は広重の方だった。のほほんとした田舎のガキには北斎の過激さが受け入れられなかったんだろうね。

 

 「しまった」だと?何を後悔する事があるもんかね。これからじっくりとこの画集を楽しめはいいのさ。うん、老後の楽しみが増えたってなもんだ。そもそも北斎がこの「富嶽三十六景」と完成させたのは七十二歳の時だぜ。七十歳以前に自分が仕上げた作品には何ら価値がないと言い放ったこの爺さんがこの版画集を完成させたのはさ。

 

 「鳥の歌」。カタロニアのものに限らない、あらゆる古曲の中でももっとも完成度が高い、音楽というものの理想をそのまま形にしたようなこの曲を、いつも夏のプログラムの最後に置いた。今回もそうする。

 

 初めてこの曲をサキソフォーンとピアノの為に編曲したとき、出来上がったそれは三分にも満たない小品だった。その小品、繰り返すたびにどんどん大きくなっていったんだ。別にそうしようなどと思った訳じゃない。この旋律がそうさせたんだ。何度繰り返し演奏してもおさまりがつかない。常に内側から何かが溢れ出してくる。それを溢れ出してくるままにしているうちにいつのまにか最初に書いたものの数倍の長さと、数倍の厚い響きを持つ曲へと変貌した。

 

 若い頃から夏になるといつも山中を歩いた。ランダムに。山の中腹に仕事部屋を借り、朝から、日が暮れて山の中を歩く事ができなくなるそんな時間まで、ともかく歩き続けた。山は音楽の宝庫だとそう信じていた。今も信じている。朝、昼、夕と刻々と姿を変え続ける光の粒を身に纏いながら耳を澄ます。自分の足音に鼓動の音が絡み、風の音、乾いたような草や葉の擦れ合う音、鳥の声、羽ばたきの音、それらが複雑に絡み合って不思議な律動を作り出す。突然繁みから飛び立ちはるか上空でその律動に楔を打ち込むように甲高い鳴き声は至上のアクセントだった。

 

 そのすべてを、そこに存在するものをもらさず表現する事こそ、音楽をやる意義だとそう固く信じていた。今も信じている。今回、この「鳥の歌」を人様の前にご披露するのは最後になるだろう。その事を思うと今でも、うん、頬のあたりが緊張でひりひりとするんだ。

 

 「十年ほど前に演奏した時の映像」を上げておく。まだまだ若気の至りをたっぷりと身に纏った小生意気な演奏だ。今は、もうこのようにこの曲を捉えていない。もっと力強く、もっと繊細に、ああ、透明感、そうだね、透明感そいつが欲しいね。

 

                                                                                                  2019.10.16.