通信21-39 盆踊りのように

 詩人寺山修司に「若者よ、書を捨て街に出よう」というタイトルの著書があるが、うん、「街に出よう」、良い言葉だねえ。若者の心をぐりぐりと刺激するような言葉さ。「ピーギャン」という隠語がある。あまり好意的な意味では使われない。音楽家たちの間で使われる業界用語で、「現代音楽」と呼ばれる一ジャンルをいささか揶揄する時に使う言葉さ。

 

 一体そんなものを書いて誰が喜ぶんだろうか。まともに働いている堅気さんたちにはとても聴かせられないねというような独善的な音楽。そいつがピーギャンさ。その世界の隅っこでしこしこと音符を書き続けていた若き日の私は、楽器をぶら下げて街に出る事にした。ダイレクトに聴き手と交わりたかったんだ。

 

 さて何の楽器をぶら下げようか。子供の頃から一番馴染んでいた楽器と言えばピアノだが、うん、あれは駄目だね。何といってもでかすぎる。少なくともぶら下げていくって訳にはいかないね。そうだ。ガキの頃、ちょいといきっていた私はサキソフォーンという楽器を吹いていたんだ。ああ、それがいいね。サキソフォーンという楽器が世の中に現れてまだ百五十年ほど、新しい楽器ならさぞかししがらみもないだろうと、そう思ったのは大間違い。世の中にはサキソフォーンの流派がわんさと存在していた。元祖だの、本家だの、宗家だの、長浜ラーメンみたいに、うん、まあいいさ、世の中の隅っこで誰の目にも触れず、こっそり演奏するには何の支障もないね。まさに隠し芸、ああ、隠しておくのにふさわしい芸って訳だ。うん、私はともかく楽器を扱うのが下手糞なんだ。少なくとも専門の演奏家としてやってゆくような技量は到底持っていない。

 

 そもそも作曲家と演奏家という分業制ができたのはいつ頃の事だろうか。作曲家という言葉、この言葉はさほど古いものではない。少なくとも十五世紀以前には作曲家という言葉は存在しなかったのではないかといわれている。では、誰が作曲をしていたのか。或いは中世末期からルネサンスにかけて活躍した、例えばペロタンからギョーム・デュファイに至るまでの、今日では作曲家と目されている才人たち、彼らをどう呼べばいいのだろうか。それは多分、司祭だとか、いわゆる自由七科を修めた聖職者とみるべきだろう。音楽は彼らにとって、学んだ一つの分野に過ぎない。といってもそのレヴェルは驚くほど高い。ペロタンなど「名前は可愛いが作品は凄い」、うん、何やらコルゲンコーワの広告コピーみたいな言い回しになるが、その音楽は本当に素晴らしい。

 

 とはいえ後の人々はその素晴らしさに満足することなく、より専門的な修練を積んだ芸を音楽に求める事になる。果たしてその事は音楽というものを豊かに変えたのだろうか。私は決してそうは思っていない。ただ、この事について書くにはあまりに紙面が少ない。また折をみて詳しく論じたいと思うが、とにかく作曲家は譜面を書くという枠の中に閉じ籠るべきではないという事だけを言っておきたい。

 

 「跡取りのリエラ」という曲がある。カタロニア地方では祭りの日、この曲に合わせて皆が踊りまくる、いわば舞曲の一つと言ってもいいだろう。いささか他愛のない歌詞をのせた舞曲。歌物語に合わせて踊るのはカタロニア地方の特色?いやいや、日本だってそうさ。敬愛する作家、中上健次によると、彼の生まれ故郷の新宮では「兄妹心中」という歌物語に合わせて盆踊りを舞うそうだ。ええ?兄妹心中?うん、悲しい歌さ。兄と妹の悲恋を歌った歌。何故?何故、盆踊りにこの歌を選んだ?

 

 それはともかく「跡取りのリエラ」。踊りの輪の中で女の子たちが囁き合っている。「あの素敵なリエラと結婚するのは私たちのうちの誰かしら?」。いやいや、リエラには許嫁がいるんだぜ。おっと、ところがその許嫁が重い病気に。教会で神に向かい許嫁の快癒を祈るリエラ。祈りの甲斐あって無事に回復した許嫁とリエラはめでたく結婚する。うううん、なんだこの単純なストーリーは。いやいや、ところがこの旋律が素晴らしいんだ。おおらかで、生き生きしていて、しかもちょいと哀愁があって。うん、私も群衆の中に一人になって、心ゆくまでこの素朴な踊りを楽しみたいね。

 

                                                                                                              2019. 10. 10.