通信27-19 我が家にキラーがやって来た

 別に酒飲みだけじゃなかった。この街に住む変な奴は。時折見掛けた黒装束に身を包んだ、ううううん、そうだねえ、紳士然としていると言ってもいいのだろうか、ともかく不思議な行動をとる中年男がいたんだ。黒装束といっても、私みたいによれよれの黒いTシャツを着込んでいるって訳じゃない。正装なんだ。その点に私は詳しくないのだが、あれはやはりタキシードだよね。しかも常に黒いシルクハットを被っている。ああ、そういえば真っ黒なサングラスも掛けていたぞ。うん、ちょいと古いが今陽子ことピンキーの後ろで踊っているキラーズの一人とでもいった風情さ。

 

 街中でタキシードを着ている奴らというと、そうだね、営業を終えた後にそのままの恰好でそのあたりをうろうろしている「あなたの街のオーケストラ」というキャッチコピーでお馴染みの九州交響楽団の団員ぐらいだね。彼らにとってタキシードは、まあいわば作業着みたいなものさ。作業服のまま一杯飲み屋で引っ掛けている工員たちとさほど変わらない。そのオーケストラのメンバーたちですら、さすがにシルクハットは被らない。

 

 ともあれそのシルクハットの紳士、時折コンビニに現れるのだが、入店前に居ずまいを正すように自動ドアの前で直立不動、それからタイミングを見計らうとおもむろに華麗なステップ、うん、まさに社交ダンスの踊り手みたいにさ、上半身までをも優雅に動かしながらコンビニの店内を一周、特に何かを手に取るという事もなく、人々にいくばくかの不安と可笑しみを与え、早速と消えてゆくのだった。

 

 ある日、道に沿った部屋の窓から外を見ていると、何気なく通行人と目が合った、ああ、その通行人がシルクハットおじさんだったんだ。「あっ」と思った時にはもう遅い、シルクハットおじさん、華麗なステップで我が家の玄関に向かって一直線さ。我が家の玄関は扉の横が磨り硝子になっていてぼんやりとだが来訪者の姿が見えるんだ。シルクハットおじさん、玄関の呼び鈴をけたたましく鳴らすと、直立不動、ああ、礼儀正しく住人の応対を待っているじゃないか。うううん、こんな時どうすればいいんだろう。特に名案が浮かぶはずもなく、ただ黙って私は時が過ぎるのを待ってみた。このおじさん、別に凶暴なやつではないだろうが、できれば人生で関わり合いを持ちたくないタイプの一人なんだ。

 

 さほど長い時間ではなかった。おじさんはくるりと踵と返すと、再び華麗なステップで来た道を逆方向に去って行った。○○とは目を合わすなとは昔から言われる事だが、あのおじさんは我が家に何をしに来たんだろう。何かのお誘いだったら嫌だなあ。私にはおじさんの世界に入ってゆく勇気など到底なかった。いずれ望む望まずに関わらず、そちらの世界に入って行かなければならなくなったら、うん、その時はその時さ。

 

 その当時、特に家に訪ねて来る人はなかった。いや、そうでもないぞ、ほら、耳を澄ましてごらん、玄関脇にある郵便受けをかりかりと引っ掻く音が、家主の娘さんが気を利かせて貼ってくれた私の苗字を書いた紙、その紙を何とか剥がそうと引っ掻く音、そして家主の「ああ、また誰かが人の内の郵便受けに勝手に名前なんか貼り付けてえ・・・」という憤慨した声。家主からの波状攻撃はまだまだ終わらなかった。

 

                                                                                                          2022/ 11/ 18.