通信21-27 何だか夢の中が赤いんだ

 溜まっていた原稿、新たに頼まれた原稿、そういったものをすべて腹から吐き出すように片付けてしまって、うん、ここ数日思い切りぼんやりと過ごしている。作者は忘れたが、昔流行っていた漫画「のんきな父さん」、まるでそんな感じだね。

 

 しばらく見なかった夢を、今まとめて見ているってな具合に、うん、夢の中に遊び続けているんだ。仕事中は夢を見ない。いや、見るには見るんだが、そいつは単純に夢と呼べるものかどうかが怪しいんだ。夢の中でひたすら音符を書いている。夢の中で書いている音符、それはちょっと前まで机に向かって書いていた音符の続きさ。目が覚めてから慌てて夢の中で書き続けた音符をそのまま五線紙に書き写す。ううううん、やはりこいつを夢とは呼びたくないなあ。

 

 夢は私にとって大切な娯楽なんだ。夢に出てくる街並み、そいつは理想の情景さ。よく夢は本来モノクロームで見るものだという話を聞くが、私の夢、そいつは常にオールカラー天然色、いや、天然というにはいささかきついコントラストを湛えているんだ。その色彩の中に遊ぶ、うん、まさに遊ぶって感じさ。ああ、いっそ目が覚めないままでいたいぐらいだねえ。

 

 今朝の夢も、ただただ街を歩き回るだけのものだった。これが映画なら、何のストーリーもない、ただのイメージヴィデオじゃあないかと観客に叱られるところだが、あいにく私の夢の観客、もちろん私さ、ちょいと風変わりなその観客は大いに満足してくれるんだ。

 

 一番多く見る夢、ただの散歩の夢、その散歩は渋谷の東急百貨店裏のなだらかな坂から始まる事が多い。今朝は、ん?東急の裏にこれまで知らなかった小道を見つけたんだ。もちろんためらわず入ってゆく。あっ、この道、もしかして、もう少し進むと、ほうらね、数えきれないほどの真っ赤な幟が並んだ神社に出くわすんだ。ああ、真っ赤な幟に、真っ黒な墨でくっきりと書かれた梵字、うん、もちろん読めないさ、でも見ているだけでぞくぞくするね。

 

 その神社を横目に通り過ぎると、角を曲がりいきなり目の前に現れるのが「海星女学院高校」だ。カトリック系の名門校で、正門の横に立っている警備員のおじさんによると、創立されて三百年を超えるらしい。へえ、江戸時代からあるのかねえ?

 

 いや、女学院などに用はない。その女学院の裏手には小高い丘があり、うん、その丘を登る、それが今日の散歩の目的さ。丘の斜面にはまるで蟻の巣みたい、無数の抜け道が広がっている。ともかく一番見晴らしのいい小道を行く。かろうじて人ひとりとすれ違う事ができるほどの細い坂道は、左手には並んだ小さな民家、右手には私の胸の高さほどの煉瓦造りの塀に挟まれている。ほら、塀の向こうに見える海、何艘もの帆掛け船が浮かんでいるが、あれ、みな黒い影絵みたいになっているね。

 

 左手に並ぶ民家と民家の間に小さな小道を見つけ、そこに入り込む。おっと、気を付けろよ。この道を上ってゆくと、途中急な石段になっていて、その石段の上には赤い蝋燭しか売ってない不思議な蝋燭屋があるんだ。確か二年ほど前の夏に見た夢の中で、私はこの蝋燭屋の主人、うん、多分そいつは妖怪さ、その主人に追いかけられたんだ。蝋燭屋の店先を覗くと、しめしめ、今日は誰もいないぞ。ただ真っ赤な蝋燭に灯された炎が風に揺らめいているだけだ。

 

 蝋燭屋の前を通り抜けると、ああ、これは立派な夏蜜柑だね。たわわに実をつけた夏蜜柑の木、その木の傍らで老婆がひたすらに夏蜜柑の皮を剥いている。その老婆、私に気が付くと「ほうれ、食べてきなさいよ」と、その向いたばかりの蜜柑の実を次々と投げつけてくるんだ。おいおい、やめてくれ、私は酸っぱいものが苦手なんだ。梅干しを一個口に放り込んだだけで、顔中皺だらけになるんだぜ。うん、どうやらこのあたりの夢、最近毎日観ている「ゲゲゲの鬼太郎」の影響を感じるね。

 

 ふと気づくと、いつの間にか私は元の場所、東急百貨店の横にいた。それから夢の中の私がどうしたかというと、ああ、今日の夢は面白かったってんで、もういちどその路地に入って行ったんだ。そしてまったく同じ道を歩き・・・、ああ、でも今度は夏蜜柑婆さんはいなかったよ。多分、目が覚めなければ、何度だって同じ道を繰り返し歩き続けたんじゃあないだろうか。なんだか少し怖いね。

 

                                                                                                     2019. 8. 24.