通信22-8 レバーの寿司って美味しいのかねえ?

 いつもの朝だ。日課になっているセバスチャン・バッハのコラールのアナリーゼで一日が始まる。日課?いつから?うん、随分と昔からさ。何年ぐらい続けているのかって?さあね、指折り数えても、うん、手の指、足の指、総動員しても到底足りないぐらいさ。

 

 最初は勤勉な学生のようにバスだけを他の紙に書き写して課題代わりに解いてみたり、ソプラノの声部だけを抜き出してやはり課題にしたり、そんな事を繰り返していたが、ようやくここ数年、セバスチャン・バッハの試行錯誤ぶりが見えてくるようになったんだ。何よりもセバスチャン・バッハのコラールは生き生きとしている。何故そんなに生き生きとしているのかって、それはセバスチャン・バッハが過渡期の作曲家だからさ。未知のものに向かって突き進んでゆく、その新鮮な喜びが譜面から溢れ出てくるんだ。

 

 調性のない、旋法によって作られた聖歌を調性の中で蘇らせる、これがセバスチャン・バッハが挑んだ事だ。読んでいてあれれれと首を傾げるような音符も多々あるが、何よりそれは未知の領域に対する果敢な挑戦の結果であり、ただただ敬意を持ってその不可解な音符に対峙するだけさ。

 

 うん、実は若い頃、これらの旋律をソプラノ課題として学習したように、今はその旋律を調性以前の形に戻し、旋法の音楽として成り立たせるように取り組んでいる。ある朝、突然セバスチャン・バッハの旋律がオリジナルの聖歌として頭の中に浮かんだんだ。驚いて椅子から転げ落ちそうになったね。もちろんそれが間違っていないなんて保証はどこにもないさ。ああ、構うもんかね。ともかく調性の成り立ち、そもそも何故調性なんてものが出現したのか、そいつがぼんやりとだけど見え始めた気がしているんだ。

 

 インターネットニュースをぼんやりと眺めていたら、えっ?「15.8万回、メールを送りつけたストーカ女」などというえげつない文字が目に飛び込んできた。たった一通のメールを送るだけでも青息吐息の私にとっては考えられないような事さ。一体どんな情熱を持っているんだ。

 

 うん、そのストーカ女、実はアメリカ人らしい。ああ、でかい国土に住んでいる奴らはやっぱりスケールが違うね。凶暴な文言を綴ったメールが多かったらしいが、その中の一例として「あなたの肝臓で寿司を握り、あなたの骨で箸を作る」とかいうものが挙げられていた。寿司だって?ふん、所詮はアメリカ人の考える事さ。うん、箸は作らなくてもいい。寿司ってのは指でつまんで食うもんだぜ。

 

                                                                                                       2019. 12. 15.