通信20-12 譜面を読むのって面倒臭いよね

 ある時期を境に、音楽は加速度的に複雑さを増していった。ある時期?うん、そいつは記譜法というものが確立した時期さ。音楽を書き取る。その行為は、すでに存在する音楽への批評となる。

 

 
 もちろん記譜というのは不完全な行為さ。例えば記譜されたものを、単純に機械でなぞってみても、恐ろしく無機質で頓珍漢な音の羅列が現れるだけだ。譜面に書かれたもの、それは音の高さと、長さが主であり、実際の演奏で必要となる、音と音の関係、つまり一つの音から、次の音に移行する為の所作についてはあまりに大雑把な表記しかなされていない。たとえば滑らかに移行する為にいくつかの音を曲線でまとめるとか、音量を変化させる為に単純な鳥のくちばしのような記号を添えるとかだ。

 


 記譜された音楽を、実際の音の像に変換する為の所作は、ほとんどが演奏家と呼ばれる人々の経験と勘によっている。だが、その経験と勘をどれぐらい信用できるのかは、実はまったく未知の問題なんだ・・・などと考え込むのは、パソコンで書き上げた譜面が、パソコンによって自動的に演奏されるのを聴いている時さ。それで、書かれた音符と音符の間をどのように繋げてゆくのか、少しでも音の連続性を、頭の中にある自身のイメージに近づけようかと、慣れないパソコンの操作に頭を突っ込んでいる、それがここ数日の私だ。

 


 うん、このすかすかの人生、その多くの時間を、記譜する事のために使い果たしてしまったんだ。今更、どうやって新しい事を覚えようか。ともかく埒が明かないぞってんで、参考書を探しにゆく。われわれの世代は、そうさ、まだ今みたいに街中に、立派な学習塾とやらが立ち並ぶ前、独習するしかなかった。そこでひっぱりだこになるのが参考書だとか、問題集だとかだ。「馬のマークの参考書、参考書、グリップ!問題集、アタック!!」だとか「薔薇シリーズ読むと為になるのよ。そうじゃないでしょ、垂れ目になるんでしょ」とかいうコマーシャルの音声が巷に溢れていた。ちなみに薔薇シリーズのコマーシャルで、「垂れ目になるんでしょ」とからかわれていたのは、コント55号の萩本欣一氏だ。

 


 まあ、そんな事はどうでもいい。なかなかDTМの参考書を見つけられなかった私は、ふと閃いて、大橋という街の古本屋にいってみた。ほうら、いくらでもあるじゃあないか。その手の本がさ。うん、この大橋という街には九州大学芸術工学科というやつがあるんだ。かつては九州芸術工科大学といっていた。知性溢れる変人たちが青春を謳歌する楽園さ。その楽園の住人たちが、とっくに要らなくなった参考書を古本屋に叩き売っている姿がふと浮かんできたんだ。

 


 ああ、もう少し私が若くて、学生と知り合う機会があれば、家庭教師なぞをお願いするんだが、さすがに最近は加齢臭が気になって、若い人には近づく事もできないんだ。などと考えながらも、頭の中では若く可愛らしい女子学生に、家庭教師を頼んでいる自分を妄想してしまう。「先生・・・ボク、実は、先生の事が・・・」「だ、駄目よ、太田くん・・・や、やめなさい・・・」などという事が、もちろん起こりようもなく、ただただ、サザエさんに叱られるカツオくんのように、耳を引っ張り上げられながら「何でこんな簡単な事ができないの!」などと罵詈雑言を浴びせ続けられるのが関の山さ。

 


 初期の記譜に使われた譜面をネウマ譜という。ネウマというのは身振り手振りの事で、大まかな音の運動を図形化したものだ。邦楽の譜面を見た事がある人は、すぐにお分かりかと思うが、「少年老い易くううう~」とかいうような歌詞の前後左右に書かれた節を表す曲線、あれで所作を伝えるように作られたものの事だ。

 


 やがて座標を用いてより正確に音を伝えようという試みがなされ、縦の軸を音の高さ、横の軸を時間というように設定されてからは、より細やかな伝達を求めて複雑化されていった。音高と表す一本の線が、二本、三本と増えてゆき、今では五本になっている。実は六線で書き表す「エスペラント表記」の譜面をあったが、かえって煩雑になり、今では使う者はいない。

 

 
 まだ譜面というものが存在しない、紀元前のギリシャでは、思いついた旋律を伝えるために、地面に倒した竪琴の弦の上に石を並べて示したというから、根本の発想自体は数千年の間も変わっていない訳で、うん、そこに何らかの普遍性ってものがあるのかもしれないな。

 


 でも、実は私自身は書き留められていない音楽に興味があるんだ。どうやってそれを知るのかって?もちろん知りようなどないさ。ハーメルンに突然現れた笛吹きが、その笛の美しい音色を使って、街中のネズミを、そして子供たちを連れさったという、その音色をどうやって知れというのか。もちろん妄想さ。魔法のランプの中からもうもうと立ち上がる煙よろしく、頭の中から湧き上がってくる妄想を固めて自身の音を作り出す。うん、そのために私は、この薄っぺらな人生を使い果たそうってのさ。

 

    
                         2019. 5. 19.