通信20-11 音楽の盛大な宴会を享受してみたい

久々の雨の朝だ。別に好天に炙り出されたって訳でもないだろうが、ここ数日、大いに高いテンションで街を徘徊していた事を、まるで昔の事でも思い出すようにぼんやりと考えている。雨音を縫うように、時折、近くの高校からファンファーレの断片が聴こえてくる。


昨日は、およそ二月に一度の診察を受けるために病院に行った。待ち時間が長いのは、それが病院というものだという事で納得しているが、やはり居心地の悪さは感じている。昔なら、本でも読んで時間を潰していただろうが、目をすっかり悪くした今は、病院の廊下のような薄暗い場所での読書は無理だという事が分かっている。うん、本を読むなら、例えばそこが喫茶店なら、じりじりと肌を焼かれるような大きな窓の、その際に席を取らないといけないんだ。


昨日は受付だけ済ますと、ああ、たぶん二時間は待たなきゃあならないだろうねってんで、ふらふらとそこいらを歩き回った。もちろん自由にどこを歩いてもいいのなら、病院なんてワンダーランドさ、何時間あっても回り切れないだろうね。でもこの病院という建物、生死の境目をふらふらしている人々の詰め合わせみたいな空間だ。おいそれとそこいらに入り込む事なんてできないからねえ。


ふと、新しい病棟のロビーが目についた。私が入院していた棟なんだが、当時はそこにロビーがある事すら気づかなかった。おずおずと入ってみると、おお、病院の歴史年表なんてものまで貼ってあるぞ。それから古い資料の写真。いいねえ、江戸時代の医学図、何だかわくわくするね。歪んだデッサンで描かれた病人の姿に、何やらおどろおどろしい恐怖を感じる。まだ、日本画に遠近法や透視法などという概念が入り込む前の絵さ。ヨーロッパが、恐ろしく精密な版画で、解剖図を作っている頃、日本はまだ一筆書きみたいな絵で事物を記録していたのか。いや、版画に関しては、驚くほどの速度で進化していた時代だ、こういう記録をプロフェッショナルな絵師に任せるシステムが存在しなかったからだという事だろうか。


ともかくそのロビー、幸せにまどろんでしまうほどに光が差し込んでくる。うっとりしながら外を眺めると、おお、この長い一本道・・・そうか、この長い一本道を、フルスピードでタクシーが駆け抜けたのか。うん、私が入院するちょうど一月ほど前だろうか、このロビーにタクシーが突っ込んでくるという事件があったんだ。私が入院した翌日、院内を案内してくれた看護婦さんが、まだいささか興奮が冷めきらない様子で、その事を話して下さったのだか、点滴の袋がぶら下がったポールにすがるようによろよろと歩くのがやっとの私にはそれどころじゃあなかった。まあ、そんな事はどうでもいいさ。ともかく病院の中にささやかな居場所が見つかったという、それだけの話だ。


夜、部屋に帰り、何気なくインターネットで調べものをしていると、うん、邪魔臭いね、広告が、画面の脇にちらちらとさ。ん?これ何だろう?ちょいと気になる姿のサキソフォーンの写真が現れ、ついつい目が留まった。気になる姿?うん、もちろん誰が見たって普通のサキソフォーンさ。でも何となく臭いんだ。ばったもん臭が、小さい画面からでもぷんぷんと立ち昇ってくるんだ。ああ、何気なくクリックしてしまった。


おお、凄い。見出しからして凄いじゃあないか「直管ソプラノサックス変ロチョウ管楽対 独奏 プロ演奏 専門級 漆金 ラッパ口径91,5mm」。うううん、何となく言いたい事が分かる気もするが、この「管楽対」っていったい何なんだろうね?添えられた解説文もなかなかのもんさ。「音色がくっきりしていて、共鳴音がよく、管壁が厚くて、音質がきめ細かくて、演奏の効果が良いです。(中略)手触りが良く、腐食もしにくく、演出は思うように勧めみす(原文ママ)。高級な材料を採用して、吹奏はあまり力を要りません。空気のスムーズに流れ、共振と共鳴は良くなれます。ある楽器の彫刻技は、長年経験がある先生が彫刻された細工で、楽器の外観はもっと美しい」。うううん、普段から演出があまり勧めみさない私としては、頼りたくなる一品だね。


おっと、ソプラノだけじゃない、アルトもあるよ。「抜群の音色 管楽対 独奏 プロ演奏 専門級 中音サックス 変ホチョウ変ホ調 ラッパ口径120mm 銅 漆金」。やはりまったく意味不明の解説が付いている。「サックスの種類;E(またはF)に下がって中音を調整します。楽器工芸;電気泳動金 適応対象者;共通」うううん、何となく分かる気もするという言葉が次第に遠ざかってゆく。「電気泳動金」って何?「音程が抜群でコントロールしやすく、ベースがあれば使えます。ボリュームが高く、迫力があって、ポップスやジャズを演奏するのが好きです。高い尋流板は興奮するような明るい音と爆発力を作り出すことができます。高密度合成楽器の銅材を用いて作ったので、硬度が高く、腐食に強いです。環境の変化で酸化しません。洗練されたデザイン技術は音を敏感に反応させ、旺盛で明るいです。Selmerは一貫した品質に従って、サックスの設計、音色、ボタンの力度はデザイナーを検査して音楽の意識に頼って、楽器の銅の材料を運用して制作して、各楽器の音の正確な音色に簡単ではありません簡単な音楽の理念を解釈する事を与えて、それぞれの楽器が持ってくる音楽の盛大な宴会を享受します。」


おいおい、Selmerって言っちゃってるぞ。Selmerってのはサキソフォーンという楽器の一大ブランドさ。うん、どうでもいいけどさ、買った人が可哀そうだから、こういうのは止めて欲しいね。いや、本当に買う人がいるんだろうか。そもそもこの楽器、どこのどんな人を購買の対象にしているのだろう。それにしても「音楽の盛大な宴会を享受します」ってのは何だかいいね。私も享受したいねえ。


ところでこの私は、もう数十年も前、玩具のサングラスの内側にヌード写真を貼り付けただけのばったもんに、「透視メガネだ。見える、見える、うっしっし」とかいうコピーを付けて売り捌くというひどい会社に勤めていました。その時、騙された皆様、心からお詫びを申し上げます。


2019. 5. 18.