通信22-9 ストーカーの末路に感じる哀しさ

 昨日、インターネットニュースで見たストーカー記事、十五万九千通のメールを送りつけたアメリカ女の記事、その関連記事とかいうやつを見ていたら、おお、出るわ出るわってのはこういう状態をいうんだね。欧米人の強烈な自我の発動が次々と記事にされているじゃあないか。

 

 一度会っただけの相手に六万五千通のメールを送りつけたイギリス女、うん、こいつもなかなかのもんだね。いや、それよりも自分を振った女の額にナイフで自分の名前を刻んだ米人男ってのも凄いぞ。その男、「ジェイコブ」とかいう名前らしいが、その愛称である「ジャック」の文字を刻んだそうだ。ちなみに私の名前は哲也というのだが、私ならば相手の額に「てっちゃん」とでも刻む事になるんだろうか。ううううん、額に「てっちゃん」と刻まれた女と一緒に街を歩くのは嫌だなあ。ちなみにこのジェイコブ君、自分の顔にも相手の女性の名前を入れ墨していたそうだ。ああ、こうなるともはや天晴れとでも言うべきであろうか。

 

 自分の体の一部に惚れた相手の名前を入れ墨するのは日本でもよくある事だね。江戸時代には遊郭の女に惚れた男が自慢気に、馴染みの遊女の名前の入れ墨を見せびらかしていたというし、有名どころでは金子光晴永井荷風も女の名前を腕だか、太ももだかに入れていたらしい。荷風は随分と若い頃に惚れた女の名前を彫ったらしいが、金子は確か大河内玲子の名前を入れたというから、うん、多分金子が大河内と知り合った六十歳前後の事じゃないのかねえ。もはや若気の至りではすまないね。やっぱり金子って人はたがが外れているね。ちなみに金子は確か若い頃にも別の女の名前を入れていたんじゃあなかったっけ。金子の行為には相手に対する執着よりも自己放棄の匂いを感じるけどね。

 

 日本の代表的なストーカーというと、うん、やはり真っ先に浮かぶのは真名児だな。上田秋成の「蛇性の淫」に出てくるストーカー女さ。一目見て惚れてしまった豊雄をとことん追い詰めてゆく恐怖の女だ。女といっても白蛇の化身なんだけどね。この物語、実は安珍清姫の伝説を下敷きにしているんだが、それを描く秋成の筆致は凄まじく、ようやく真名児から逃れ、富子という若い女を娶った豊雄、二人だけで過ごす夜にその若妻富子の声が真名児のものに入れ替わり、豊雄に対して恨み言を言い出す下りを読むといつも背筋が冷たくなる。

 

 結局、とある高僧の手で真名児は鉄鉢へと封じ込まれてしまうんだが、ああ、何だか真名児に対して切ない気持ちになるね。蛇の化身とはいえそこまで一途だと愛おしささえ感じでしまう。そもそもこの豊雄ってやつはひどくちゃらんぽらんなんだ。相手が蛇だって良いじゃないか。一度は惚れて体を交えた仲、いっそ添い遂げればいいのにと思うのは私だけだろうか。

 

 ともあれこのストーカーという人種、割と相手が誰でもいいような気がする。ストーキングというのは、誰でもいいから相手を必要とする時期の事なのか、あるいは相手を鏡のように眺め、そこに映った自身の姿に執着しているのか。まあ何だっていいさ。すっかり枯れ果てて、あらゆる情熱ってもんから見放されてしまった私にはいささか羨ましく見えない事もない。多分、残りの人生、女に執着する事などないのかもしれないが、うん、これから書き出す新作には自分のぺらぺらな人生とかいうやつ、そいつのすべてをぶち込むように大いに執着したいと思っているんだ。

 

                                                                                                       2019. 12. 16.