通信27-20 あまりに突然の

 家主とのすったもんだを繰り返しながらも、いつの間にかそれが当たり前の事となりつつあった。うん、大した事じゃない。トムとジェリーが毎日毎日飽きもせず喧嘩を繰り返しているようなものさ。でもその年の秋が深まった頃、家主の姿を見掛ける事がなくなった。どうしたのだろうと気にしていたある日、たまたまばったり家の近くで出会った家主の娘さんに、最近体調が優れず家主は入院していると聞いた。へえ、年寄りは色々大変だねえなどと思ったが、特にそれ以上の事は考えなった。いや、もしかしたら家主からの波状攻撃からしばらく解放されるのかと、いささかほっとしていたかも知れない。

 

 秋の日没は早い。それから数日後の事、夕方家に帰り着き、開けっ放しになっていた母屋側の窓のカーテンを閉めようとして異変に気づいた。あれ、一体どうしたんだ。母屋の縁側に家主が寝ておられるじゃないか。変なところで寝るもんだねえと呆れながらもよく見ると、真っ白い着物を着て、これまた真っ白い布団の上に、仰向けに背筋をまっすぐに伸ばしたまま・・・ああ、異様な寝姿だった。うん、それはもちろんご遺体って訳さ。家主さんは亡くなったんだ。母屋を訪ねると、目を腫らした娘さんがいろいろと教えて下さった。入院していたある夜、いつの間にか病院を抜け出して、寝間着一枚という薄着で辺りを徘徊しているうちに肺炎を患い、そのまま亡くなってしまったとの事。悲しさもあるが、それよりも寂しさ、いや、ありふれた言葉を使うならぽっかりと穴が開いた、うん、そんな感じだったね。それ以上の言葉が見つからない。そうさ、私は人の死に臨む言葉を持っていないんだ。

 

 それから年を越した一月の初め、十日恵比寿の初日、前えびすの日の事だ。私は近所に住む仲の良い知人と酒を飲みながらとりとめのない話をしていた。その時、電話が鳴った。電話の声は隣県に住む知り合いのヴァイオリニストだ。少しひそめたような声で、彼が私に訊く。「Gが昨日から家に戻ってないらしいのですが、今一緒じゃないですか」。Gは、うん、そうだね、親友と言ってもいいような深い付き合いのある男だ。回りの誰もが呆れるぐらいに私たちは夜を徹してだらだらと酒を飲み、語り合った。もしそのGが姿をくらましたのならきっと私のところに転がり込んでいるのだろうと人が疑うような仲だった。

「いや、来てないけど・・・」

「ご家族が心配されているので、もしGがそちらに行ったらすぐに家に連絡するように伝えてください」そう言って電話は切れた。

能天気な私はいきなり浮ついた気分になった。へえ、じゃあこれからGが訪ねてくるに違いない。ならば一先ず家に電話でもさせて、後はじっくり、お釣りがくるぐらいにたっぷり酒を飲ませて送り返そうとそう思った。

 

 私は一緒に飲んでいた知人にそう告げると、ならばと酒とつまみを買いに出る事にした。そうか、今日から十日恵比寿じゃないかと思い付き、買い物がてら縁日を冷やかす事にした。縁日は賑わっていた。ほうら、アセチレンの光に照らされた石畳が、夢の中みたいに白く光り、浮かれる気分を一層盛り上げるじゃないか。そうだ、これ、つまみにいいんだよねなどと呟きながら縁日の屋台で袋一杯の銀杏を買った。それから屋台の飲み屋に潜り込み、縁起物の枡酒をぐいと飲み干す。この後、どんな連絡が来るかも知らないまま、我々は千鳥足、ふらふらと家路に着いたのだった。うん、この続きはまた後日。

 

                                                                                                  2022/ 11/ 19.