通信27-21 あまりに突然な

 そしてそれから、それから?うん、それからすっかり浮かれ切った私たちは石油ストーブの天板の上に直接網を置き、その網の上に銀杏をぶちまけた。香ばしく焼けた銀杏の実に塩をまぶし、そいつをばくばくと食べながら他愛ない話をだらだらと続け、馬鹿みたいに笑い合った。うん、それのどこが悪い。あまりに普通の事じゃないか。でもそれから何年もの間、その時に自分の口から漏れ出したにやけた言葉、薄気味悪い笑い、緩み切った脳味噌、そのどれもが許せなくて堪らなかった。

 

 てっきりGはこちらに向かっているものと勝手に決めつけていた私は、何度も時計を見ながら、一体なにやってんだよ、と見当外れの文句を繰り返した。そして再び電話が鳴る。電話の向こうの声、それは意に反して先ほど電話してきた知人だった。「Gが遺体で見つかりました。パチンコ屋の駐車所に停めていた車の中で死んでいたそうです」という言葉を耳にした自分が、最初にどういう言葉を発したのかは忘れてしまった。私の口は多分、「はあ」、とか「ふう」とか、空気が抜けるような間抜けな音を出したんじゃないだろうか。それからこうべを垂れるように首を折り、その時頭をぶつけたこたつ板の冷たい感触だけは何故かはっきりと覚えている。

 

 私は恥知らずにも、私を心配そうに見つめている知人を、「一人になりたいからと」追い返し、一人になるとたちまちどうしても一人が耐えられなくなり、うん、恥知らずにも今しがた自分が追い返したばかりの知人の家へと全力で走った。知人が住んでいた部屋はマンションの六階にあった。建物裏の非常階段を駆け上がり、あれ、気がつくと八階、慌てて駆け下り気がつくと三階、また駆け上がり・・・なかなか目当ての部屋に辿り着けなかった。うん、それでいいんだ。ともかく走り回って自分を涸らすしかなかったんだ。

 

 それからばたばたともがくばかりの日が続き、その時取り組んでいた協奏曲の完成は大幅に遅れ、毎朝近くの浜辺を歩き回ってはそこで松露を集めるようにゆっくりと一つ一つの音を拾い上げ、数か月の間声が出なくなり、それでも曲は完成し、それから・・・、それから?うん、それから書く次作も、さらにその次の曲も、どれもこれもが暗い翳を帯びるようになって、さらに数年、生傷が乾くようにココロとかいうやつが乾いた頃、今の私、そうさ、丸めた紙屑のような私の人格が完成したんだ。

 

 死別の悲しさ、そいつはどこまでも謎めいていると思ったが、その謎は相変わらず解けないまま現在に至っている。時折、発作でも起こすようにこの事を書き留めようとするんだが、ああ、やはり今回もうまく書けなかった。多分自分のココロとかいうやつの奥底にさ、開く事を拒んでいる部分があるんだろうね。もちろん人間誰だって最後はお別れさ。でもこの別れは唐突過ぎる。しかもGはまだ三十歳の半ばに差し掛かったばかりだった。ああ、普通にお別れをするべき時にきちんとそれが出来なかった事の辛さは言葉にしようがないね。

 

 そういえばGの葬儀の後、寄り添うように横にいてくれたNさんと今年の夏、数年ぶりに飲み交わしたんだ。葬儀の次の朝、目を覚ますと畳に寝ているNさんの周りに丸めたティッシュペーパーがいくつも転がっていた。そうか私が眠りに落ちた後もこの人はひとりで泣き続けたいたんだなと思った。そのNさん、二十五年が経った今でもひとりで酒を飲んでいるとふとGが降りてくる感じがすると、何やら巫女のような事を言っていた。うん、やっぱりそうだよねえ。

 

                                                                                                           2022/ 11/ 20.