通信27-22 いったい何を懐かしもうっていうんだい

 今回はGの事を書くつもりなどなかった。かつて住んだ、自分が最も好きな街で起こった様々な事、うん、楽しかった事も、頭に来る事も、何でもいいさと、もかくそんな事を書きたかったんだ。でも、どうしてもこの時期の事を書くと、ずるずると引き寄せられるようにGの事を考えてしまう。

 

 ともあれ私がその街に棲んだのは二昔ほど前の事だ。すでにその時、街は寂れかけていた。かつてその街には仲の良い友人がいて、二十歳そこそこのガキだった私はよく遊びに行ったんだ。さらに私が棲みつく一昔前さ。当時の学生街は活気に溢れていた。うん、その思い出を追ってそこに引っ越したのさ。

 

 学生街の気楽さ。まさに何でもありってな感じだったね。バス通りと垂直に二筋の商店街が並行して存在していた。主に食材を扱う店が並ぶ商店街がひとつ、もう一つの商店街にはささやかながらも娯楽施設が充実していた。本屋、レコード屋、パチンコ屋、そして映画館。映画館?そうさ、道幅は車一台がようやく通れるぐらい、長さと言えば僅か数百メートルほどの商店街に映画館が三つもあったんだ。

 

 当時、庶民の生活の中心にテレビというものがあった。そいつが一家に一台、台所だとか居間だとかに鎮座するそのテレビという神器が家族の絆を作っていた。そんな家から旅立った学生たちがテレビなど持っている訳がなかった。ならば彼らの娯楽の中心は、そいつはもちろん映画さ。松竹系が一軒、東宝系が一軒、そして妖しい大人の香りを漂わせたロマンポルノの殿堂、日活系が一軒、どれもなかなかの賑わいだった。ちなみにパチンコ屋も三軒あったが、もちろん電動ダイヤル式などではなく玉の一個一個に心を込めて打つといういわゆる手打ち式のやつ、もちろん大した儲けもないが、ゆっくりと時間を潰すには最適だった。

 

 テレビもなければもちろん部屋に電話を引いているというような裕福な学生もほとんどいない。学生たちは部屋の前に大学ノートと鉛筆をぶら下げていたが、そこには「〇時〇分に訪ねてきたが留守だった。連絡乞う」だとか「〇時から東映会館で映画を観ているからそちらへ来てくれ」だとか「風呂屋に行ってくる」などという書き込みがされていた。そうさ、伝言板がわりさ。

 

 そして街のいたるところには馬鹿みたいに安い値段で酒を飲ませてくれる飲み屋が・・・、いや、もういい、一体私は何を書いているんだ。これが自分が書き留めていたい事か?過去を書く。そこから見えてくるのは現在の自分さ。さまざまな中からその事実をネタとして選んだ自分、その事実を今の自分がどう感じているのか、結局文章の中に読み取れるのは今の自分でしかない。特に何を書こうと決めて筆をとる訳ではない、パソコンを開いて、そこから自動筆記みたいに書き連ねるというやり方をしている自分のような者が書く文章には殊更、隠された現在の心理状態が現れる。ならばせめて明るい未来を書けよ。うん?いやいや、未来ってものがないからさ。だからこうして過去に潜り込んでは、自分の残り少ない視力ってやつを使い果たそうとしているのさ。ならばせめて作曲にその視力を使おうぜ。ああ、そうだね。やはりそうするべきだよねえ。

 

                                                                                                               2022/ 11/ 21