通信22-36 携帯電話との再会

 どこかで電話が鳴っている。夢の中に半分頭を残したまま部屋の中を寝ぼけ眼で見回すと、あれ、その音、ベッドの下から鳴り響いているじゃあないか。おお、久しぶりじゃあないか。元気にしていたかい?と電話に問い掛けてみる。

 

 うん、ここ二三日、私の携帯電話がどこにも見当たらなかったんだ。何故ベッドの下に?ベッドの下なんて、何年も掃除をしていないから埃っぽいだろうに。掛かってきた電話は出る前に切れてしまったが、ともかくベッドの下に手を伸ばして、ああ、何だか貞子とかいう化け物みたいだねえと自分を哂いながら、電話を拾い上げる。

 

 ぐりっと頭を捻り、最後に電話を使った時の事を思い出してみた。あれは確か数日前の夜、私はチェロのお姉さんとメールのやり取りをしていたんだ。私が最後にメールを打ってから、そうだ、そのまま即座に眠りに落ちてしまったんだ。そうか、私が眠りに落ちるように、携帯電話の方はベッドの下に落っこちたって訳だね。

 

 という訳で、ここ数日、電話の姿を見る事もなく過ごした訳だが、そうだね、特に不自由さも感じなかったね。というのも新作の構想に没頭してたからさ。最小限のメモを採りながら粘土を捏ねるように、頭の中で響きを捏ね回し続けたんだ。ようやく響きが頭の中に出来上がったところで、さあ、後は五線に書き取るだけだ。

 

 ここ数年、うん、もう十年以上さ。まとまった分量の曲を書いていない。この十年、書いたものと言えば自分のリハビリのための曲、ちっこいやつ、グリコのおまけみたいなやつ、いや、グリコじゃあないな、もっとばったもん臭いやつ、例えばゼリコだとか、コリスだとかさ。私の勝手な推測だが、ゼリコはグリコのパクリ、コリスはハリスのパクリではないだろうか?思い切り子供だまし臭が漂っているやつ。ああ、でも子供の頃のわれわれは、そんなばったもん臭を求めて駄菓子屋の店先に群がったんだ。ちなみに私はコリス笛ガムというやつを唇に挟み、そいつをぴいぴいと鳴らしながら道を歩くのが好きだった。

 

 まあ、そんな事はどうでもいいさ。今回、十年ぶりに大奮発してグリコ並みの曲を書こうとしているんだ。頭の中ではすっかり響きは出来上がっている。後はそいつを紙に落とすだけだが、これまでその作業を日常の空間でやった事はなかった。書き取るのに数週間を要する曲を書く時には必ず田舎の仕事部屋に籠って作業した。今回は初めて普通に暮らしている空間で清書をするんだ。もう私に仕事部屋を借りてくれるような優しいスポンサーは、どこにもいなくなってしまった。

 

 うん、まず何をするべきか?もちろん掃除さ。集中できるような空間を作るんだ。終身刑として長い間、刑務所の中で暮らしていたジャン・ジュネは、恩赦により釈放されるとたちまち途方に暮れ、まずは自分のアパートメントを刑務所そっくりに作り変えたらしい。よし、一つこの私もジュネ先生に倣って部屋の模様替えでもしてみようかな。

 

                                                                                                        2020. 2. 22.