通信22-35 保温ジャーにまつわる悲しい思い出

 今日は珍しく午後にスタジオに入ったんだが、おお、久しぶりじゃないか、旧友のT君に呼び止められた。何故かT君、スーパーで買ったような弁当を私に向かって差し出し、よかったら食べないかという。一緒に練習するはずの相方が突然に体調を崩してこれなくなり、その人の分の弁当が余ったらしい。ああ、そういえば昼飯はまだだったなと思い付き、有難く弁当をいただく事にした。

 

 ロビーのソファにT君と並んで座り、弁当の蓋を開ける。うっ、冷たい。最近は電子レンジとやらの普及で、うん、あのマイクロ波を駆使し、対象に分子レベルでの振動を与え、たちまち過熱してしまうという優れものさ、なかなか冷たい弁当を口にする事がない。ああ、実は冷たい弁当を口にするたびに、胸がちくりと痛むような思い出が湧き上がるんだ。

 

 あれはまだ私がくりくり坊主の中学生だった頃の事だ。ある日、突然同じクラスのℋ君が保温ジャーに弁当を詰めてきたんだ。保温ジャー、うん、一人前に働いている大人だけが使う事を許されているかのような立派な弁当入れさ。クラスの誰もがその保温ジャーに注目していた。

 

 やがて昼休み、アルマイトや、タッパウエアーに詰め込まれた冷たい弁当を開く我々とは違い、ℋ君の弁当からはふわりと湯気が立ち昇っていた。おお、蓋を開けるとそこには暖かい味噌汁までが収納できるようになっていたんだ。

 

 皆が羨望の眼差しでℋ君の食事姿を見つめ、うん、彼はまるで時代の寵児ででもあるかのように誇らしげに弁当を食べ始めた。そんな日が数日も続き、ようやく皆が保温ジャーの存在にも慣れてきた頃、ℋ君の前に席だった私は、何気なくその保温ジャーを眺めていた。あれ、アルファベットで何か書いてあるぞ。その保温ジャーの胴体に書かれた文字を私は何の考えもなしに口に出して読んでしまった。「vacuum」・・・バキューム?うん、確かにそう書いてあったんだ。いや、別に変な事じゃあないさ。要するに「真空」、空気を遮断する事で対流という現象を起こさせないようにしたんだ。ああ、でもさ、うん、弁当箱にバキュームって文字はちょいとねえ・・・。

 

 私がガキだった頃、まだまだ各家庭のトイレの水洗化は進んでおらず、街中に強烈な臭いを撒き散らしながらバキュームカーが走り回っていた。世の中の苦労を何も知らないガキどもは、バキュームカーと遭遇するたびに大袈裟に揶揄し、騒ぎまくったんだ。バキューム、その単語はともかく臭いものとしてわれわれの脳裏にインプットされていた。

 

 教室の後ろの方にたむろする悪ガキたち、そいつらがにやにやした顔で、保温ジャーからご飯を掻き込むℋ君に向かって「おい、バキュームに詰めた飯は美味いのか?」などとからかいの言葉を掛けるのだった。ああ、時代の最先端をゆく男の座から、一気にスカトロジーもどきの男へとℋ君を引きずり降ろしたのは、もちろん私の不用意な一言だったんだ。今でもその時のℋ君の哀し気な表情を思い出すと、胸がちくちくと痛むんだ。ℋ君、本当にあの時はごめん、せめてものお詫びに文中の「H」の文字をちょいとお洒落な字体「ℋ」にしておくね。

 

 それにしても「vacuum」って単語の綴りがいいねえ。「u」が二つ並んでいるところなど、うん、思い切り何かを吸い込んでるってな感じがするね。

 

                                                                                                  2020. 2. 16.