通信20-5 コンピューターと仲良しになりたい

 今日のレッスンのネタにと頼まれた曲、そいつはヴィヴァルディの協奏曲だった。うううん、実はネタとしてはあまり嬉しくないんだ。バロックと呼ばれる時代に書かれた曲。このジャンルには頭の固い専門家がうようよいて、門外漢としてはいささか口を挟みにくい。それに今日、楽器を抱えてレッスンに来て下さった方、実は若い頃にドイツ北部、ハンブルグ地方の音大を卒業し、そのまま地元のオーケストラに籍を置き、大学で教鞭をとっていたという経歴の持ち主なんだ。おいおい、ハンブルグっていえばバロック音楽にはちょいとうるさい方々がお揃いの地域じゃあないか。今、古楽の主流はオランダらしいが、かつては多くの日本人が留学し、古楽の勉強に勤しんだ地がそのハンブルグさ。

 

 実際にレッスンが始まると、険悪な雰囲気は微塵もなく、あっという間に時間が経ってしまった。衝突の種になるのは奏法、うん、古楽に関してはともかくややこしい決め事があるんだが、それには一切触れない。元々私はその手の事には全く興味がないんだ。ただただフレージングと和声を分析しながら演奏を進めてゆく。

 

 うん、不思議な作曲家さ。随分と昔、まだ私が子供の頃、このヴィヴァルディこそ難解な音を書いた作曲家の代表のように言われていた。確かに同時代の誰とも大きく異なっている。そもそも旋律らしい旋律が出てこないんだ。ひたすらブロックのような音の塊が延々と連なってゆく。

 

 対位法的な書法が、驚くほどの勢いで和声に飲み込まれてゆく。そんな時代に活躍したのがこのヴィヴァルディ先生って訳さ。まさに当時の前衛音楽ってな感じだね。それでも随所に後に音楽に与えた影響が偲ばれる個所が次々と現れ、とても興味深い。ちなみにセバスチャン・バッハの調性プランに大きな影響を与えたのはヴィヴァルディの協奏曲だという指摘もある。

 

 レッスンを終え、ふらりと天神へ出掛ける。本を探しているんだ。DTMのガイド本。実はこれからDTMを始めようと思っているんだ。うん、要するにコンピューターを使って作曲をするのさ。このまま死ぬまで音にならない音符を書き続けるぐらいなら、まだコンピューターに縋った方が百倍もましってなもんだ。溺れる者は藁をも縋るというが、このコンピューターとかいう代物、藁よりははるかに有難い物だろう。

 

 実は数十年ほども前、これからはコンピューターが出来ないと仕事が回ってこないと脅された私は、一度、コンピューターを使った作曲講座とやらを受講した事がある。当時はシンセサイザーを華麗に使って音を紡ぎ出すってな方法はまだなく、ひたすら一本指を使って、慣れないコンピューターとやらのキーボードに数式を打ち込むという作業だった。二時間ほども汗を掻き掻き、ようやく課題を打ち込み終え、期待に胸を高鳴らせてエンターキーを押した私の耳に流れ込んできた音といえば、伴奏も何もない、ただの単旋律、しかも信号機のスピーカーから流れてくる安っぽい電子音。その音で奏でるのは「お馬の親子は仲良しこよし、いつでも一緒にぽっくりぽっくり歩く・・・」という旋律だった。いや、よく耳を澄まして聴いてみろよ。多分打ち間違ったのだろう。「ぽっくりぽくり」となっているじゃあないか。ああ、心底がっかりした。それ以来コンピューターで作曲しようなどという気持ちは、体を壊して自由に活動できなくなるまで一度も起きなかった。

 

 だいたい当時、私がコンピューターに対して持っていたイメージといえば、こちらが何か質問するたびに、無機質は甲高い声で「ソレデハ、オ答エシマス」などとほざきながら、旧国鉄の自動切符販売機の受け皿みたいなやつから、答えが書かれた細長いテープをかたかたかた・・・と流し出してくるという感じの代物だった。うん、私と同じ世代で、真昼間から「ベルトクイズQ&Q」というテレビ番組を観ていた方々はだいたい同じような印象をお持ちでないだろうか。ともかく、そいつは私の頭にある作曲という行為とははるか遠くに存在する類のものだった。

 

 まあそんな事はどうでもいい。ともかくガイド本を見つける事はできなかった。半ば落胆しながら天神で一番大きな本屋の地下に降りると、おお、古本市をやっているじゃあないか。ここで催される古本市、なかなかの掘り出し物が多いんだ。あっ、ミケランジェロの天井画の修復記録本があるぞ。うへえ、どうせ高いんだろうなあと思い、裏表紙を開いてみると、あれ、200円じゃないか。本当かね。ええと、ゼロが一つで二十円でしょ?ゼロが二つだから・・・やっぱり200円だよねえ。いや、円とはどこにも書いていない。もしかしたら200ドルじゃあないだろうな?などと馬鹿な事を考えながらレジに向かうと、店員さんはその本を私が差し出した二枚の百円玉と交換してくれた。ははー、と頭を深々と下げながら本屋を出る。という訳でその本は今私の目の前にある。おいおい、こんな馬鹿な文章を書いている暇なんかないぞ。さあ、その本をむさぼり読まなくちゃあね。

 

                            2019. 5. 10.