通信20-4 まぐわ瓜ってどこに売ってあるんだっけ

 朝っぱらから近所のスタジオに入り、ばたばたと暴れるようにサキソフォーンをさらう。いや、別に腹の奥深くに地層のように溜まったストレスを解消しようって訳じゃない。ただ楽器を操るために必要な筋力が落ちてしまうのが恐いんだ。馬鹿丸出しで浪花節をうねるように楽器をうねらせた後はピアノをさらう。いや、ピアノをさらうって感じじゃあないね。ただ鍵盤を弄んでいるってな感じだ。最近はまたバッハのコラールに没頭している。


 四つの声部で書かれたその曲の声を一つずつ剥がしてゆき、付けられていた臨時記号を消し去ると、たちまちまだ調性というものが確定する以前の素朴な旋律が現れる。聖歌ってやつさ。バッハ自身はプロテスタントだったので、主にルター派の聖歌が使われている。ドリアだとか、フリギアだとか、うん、そんな旋法とかに則った歌が現れるんだ。その聖歌を調性という枠の中で再現しようと苦心するバッハの姿を思い浮かべるように、一つ一つの音を吟味してゆく。調性化するという事に果たしてどんな意味があるのだろうかという疑問と取っ組み合いながら。ああ、漫画なら頭の上にたくさんのクエスチョンマークが描かれるところだね。ん?頭の上に、数えきれないほどのクエスチョンマークを立てて街を歩いたら、うん、遠目には髪がふさふさしたおっさんに見えるんじゃあないだろうか?などと馬鹿な事を考えてもしかたがない。実は調性化する意味については自分なりにあたりはつけているんだが、うん、今はまだ話しますまい。


 まあ、ともかく朝から、体を使い、頭を使って音楽の修行をしているって訳さ。そういえばギリシャ神話の中での音楽の成り立ち。神話によると、うん、あくまで神話によるとだよ、メディウス三姉妹、あの偶然にでも見かけると、見た人はたちまち石になってしまうという迷惑なやつら、その末妹のゴーゴンがあまりに人を石にしすぎたというんで、神罰として首を切り落とされてしまう。それを見た二人の姉が、悲しさのあまり泣き叫ぶんだが、それを天井から見ていたアテナの女神がその情動の激しさに感銘を受け、その激しさを形にするために作られたのがアウロスという、ギリシャ神話によると人類最古の楽器、現在のオーボエってやつさ。


 一方、優れた知性を持つ神ヘルメスは日々、二つ以上の音を同時に鳴らすと一体どうなるのだろうかと様々に思いを巡らせていたらしい。ある時、ヘルメスが羊の腸から作った二本の弦を同時に鳴らしてみると、それらは美しく調和したという。それが和音の始まりなんだと。つまり感情を操る管楽器と、知性を表す弦楽器から音楽は成り立っているってな事をギリシャ神話は語っている。おお、さすがはギリシャ人、上手い法螺を吹くなあなどと感心しながら、私も出会った若者たちにこの話を聞かせている。


 ちなみに最古の楽器は紀元前6000年頃にチグリス・ユーフラテス川のそばで発見されたギーターの原型ともいえる弦楽器らしい。最もこの説が書かれた本もすでに出版されてから半世紀以上も経っているのだから、現在はどういう説が主流なのかは知らない。誰か知っている人がいれば教えて欲しいとは思うが、わざわざヤフー知恵袋に相談するほど切実に思っている訳ではない。


 丸一日休んでいたら、疲れ果てていた足がすっかり回復した。うん、昨日はほとんど部屋の中で過ごしたんだ。こまごました仕事、古い原稿を引っ張り出して眺めたり、未校正のまま放り出していた原稿に朱を入れたり。ああ、それにしても普段の私は何故、必要な事を放り出してまで外に出たがるのだろうか。学校から帰ると宿題の入ったランドセルを放り投げて、外へ飛び出してゆく小学生と何ら変わるところがないじゃないか。


 ともかく家にいると何かしら机に向かうもんだね。狭い家だからね。机と、寝床と、台所と、風呂と、便所、うん、やっぱり机の前が一番居心地がいいと思う。ともあれ一日、こまごました作業に没頭し、夕方、突然胡瓜を食べたくなり近くの胡瓜屋へと出掛ける。何故、急にそんなものを食べたくなるんだろう。やはり私の先祖は河童なのかね。ああ、でも胡瓜こそ初夏の味だねえ。そういえば去年の夏は数十年ぶりに瓜、うん、まぐわ瓜という爽やかな甘さを持つ瓜、そいつを堪能したんだ。あのメロンとかいうべたべたした甘さが売りの果物とは大違いさ。また今年もどこかでまぐわ瓜と出会えるだろうか。今年の夏はそいつを楽しみに過ごしてやろうかと思う。


                           2019. 5. 8.