通信20-2 音楽の歴史ってやつとどう付き合ってゆこうか

半年近くもこっそり引きこもって何をしていたのかというと、うん、文章を書く練習をしていたんだ。何とか面白い文章を書けるようになれないかなあなどと、指をしゃぶりながら、時にはへらへらと薄ら笑い、鉛筆なめなめ、いや、今時鉛筆何てものは使わない、もちろんワープロさ、当然ワープロのキーボードをなめなめなんてしない、時には熱しすぎて湯気を立て始める頭を持て余しながら、ひたすら文章を書き続けたんだ。


それでどうなったかというと、ああ、諦めたさ。言葉、こいつは私のような腑抜け者の手に負えるような代物じゃあないね。もっと何というかさ、頭が常にフル回転しているような御仁が自らを表すのに使う道具だね。私が書く文章、そいつは干からびていて、紙に落とすや否や次々と乾燥した土のようにぽろぽろと崩れてゆくんだ。うん、文章を書くのは私には無理だね。という訳で、しこしこと誰が読むのかもわからないブログってやつを、ささやかなストレス解消、便器の中に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫ぶような、他愛のない文章を、またそいつを書き始めようと思ったんだ。へえ、いつ思ったんだい?うん、一昨日さ。


ここ数年、音楽の歴史、音楽史とか呼ばれているもの、その中に頭を突っ込み続けている。いささか酸欠気味だ。何故って、この音楽史ってやつがあまりに心許ないんだ。何しろ当てにできる資料があまりに少ない。もちろん録音など残っていないし、譜面というやつが世の中に現れるのもここ千年ほどの事だ。人類の長い歴史の中でさんざん繰り広げられたであろう音楽をするという行為についての手掛りはあまりに少ない。


中世といってもルネサンス期に近いそれ以前の音楽についての資料、その多くを音楽史家は一冊の本に頼っている。紀元800年頃に書かれたポエティウスという音楽家が書いた理論書。それ以外には復元された楽器や、紀元前のギリシャで書かれた音響学の教科書。それらを軸にさまざまに書き散らされた小さな記述、例えばプラトン哲学書の中にだって音楽についての記述はある、それらを搔き集めて繋ぎ合わせてゆくという、まさに気が遠くなるような作業の繰り返し、そいつが音楽史さ。


もちろんプロの学者でもないただの一作曲家である私が、それほどに真面目に音楽史に取り組んでいるかというと、まったくそんな事はない。偉い学者の先生がお作りになった音楽史を俯瞰し、何か気になるところがあれば好き勝手に食いつき、そこでほんわりと夢を見るように心を遊ばせ、自分の作品のネタにするという小癪な付き合い方をしている。われわれの商売ってのは、まずは夢を見て、その夢を形にするという事から始まるんだ。


でもね、音楽の歴史ってやつ、こいつをちょいと調べてみると、人々の音に対する欲望みたいないものがはっきりと見えてくる瞬間があまりにあるんだ。例えば音楽の歴史ってのは天才作曲家によって、その多くを作り出されたというような印象を、多くの人が抱いているかもしれないが、作曲家ってなものは人々の欲望を敏感に察知し、収集するアンテナみたいなものに過ぎないという事がしだいに分かってくる。音楽を作っているものは、時には経済だったり、折々の支配体制だったりするのさ。


さてこのポエティウスの著書をどこまで信じていいのか、あるいはどのように解釈すればいいのか、うん、この書物に描かれた音楽観、それは現代のわれわれから見てかなり特殊なものだ。ポエティウスによると紀元前のギリシャには三つの種類の音楽が存在した。一つは天体の音楽、そして天体の縮図である人体の中に存在する音楽、この二つの音楽は実際に人間の耳で捉える事はできないが、そのしくみを極める事で、人間としてより深い境地に達する事ができる(らしい)。そして三番目の音楽、直訳するならば「楽器の音楽」とでもなるのだろうか、ともかくこの三番目の音楽が、今現在、われわれが音楽と称しているものに近いのではないかと思う。


仕事と称して音楽を散々貪ってきた私だが、体を壊し、音楽家として使い物にならなくなってから、うん、それでもまた新たに松露でも拾い集めるように音符を書き出した。療養中はとてもじゃあないが、注文を受ける事も無しに作曲をする自分など想像もできなかった。ああ、でもやはり何かしら書き続けるものだね。人が作曲をする理由、いや、別に作曲などという特殊な行為にこだわる必要などないさ。人が物を作る理由、しかも何ら実用的でないもの、その理由を歴史から学んでやろうと、今の私はそう目論んでいるんだ。

                             2019. 5. 5.