通信20-3 別れの、その訳は

 

 膝が笑うという言葉があるが、今、私の膝は苦笑いを続けている。いや、膝だけじゃないさ。足全体ががくがくになっているんだ。ああ、ちょいと歩きすぎたね。ここ数日。どうやら歩く事に対して大いに鬱憤が溜まっていたみたいなんだ。春先、足を痛めた。肉離れってやつさ。年のせいだろうね。そいつがなかなか治らなかったんだ。ちょっと楽になると大慌てで街に繰り出す。そうするとたちまち「いてててて・・・」、ああ、蹲らんばかりの痛みに襲われる。そんな事を繰り返すうちに、すっかり外出するのが嫌になってしまった。鎖に繋がれて、犬小屋のまわりをうろうろする犬みたいに、痛みに繋がれて狭い町内を這いずり回るような暮らしが一月ほども続いた。


 五月の連休になってさ、うん、突然足が軽くなったんだ。さあ、休養は十分だ。いざってんで、どうしたかというとまた足がどんよりと重くなるまで歩き回ったんだ。私にとって幸運なのは、足には口がないってところさ。もしこの足が自由に発言できるようなものならば、足のやつ、私にあらん限りの罵り言葉を投げかけてきただろう。足のやつ、私の事をブラック企業の経営者みたいに思っているに違いないさ。


 ああ、でもね、どういう訳だか、昔から私は街を歩き回らないと一音符だって浮かんでこないんだ。これまでに書いたほとんどの曲は皆、街中で作ったものだ。時には車に刎ねられたり、崖から転がり落ちたり、いろんな事もあったが、それでも歩きながら作曲をするという行為はやめられない。


 ともかく今日の歩行は取り止めだ。それで朝から部屋でごろごろしている。頭の中にあるモティーフをノートに書き留め、あくびを三回、ほうら、もうやる事がなくなったぞ。うん、そんな時のために掃除ってもんが存在するんだよ。そうだ、衣替えをしなきゃあ。押し入れからありったけの衣類を取り出す。そういえば手付かずの段ボールがあるんだ。中に何が入っているのかって?うん、これまで一緒に暮らしていた女が残していった衣類さ。しかも一人分じゃないぞ。何故かそれが捨てられないんだ。未練があるのかって?いやいや、そういう訳じゃない。ただ突然、「あなたの部屋に置きっぱなしにしていたお気に入りのシャツを返して」などという連絡が入ってこないとも限らないと思うと、捨てられなかったんだ。


 そうさ、私は別れるのが下手なんだ。関係がぐしゃぐしゃになって、切ったはったで家を飛び出し、そのまま会う事もなく・・・なんて別れがとても多い。そういえば「これから楽しくお付き合いをしませう」などと嬉し楽しで恋人同士を名乗り始めるなんて事もなかったな。いつもぐずぐずと、気が付いたら一緒に暮らし始めていたなどというくたびれた恋愛ばかりを繰り返していた。


 尾崎紀世彦の歌みたいに「二人でドアを閉めてえ~、二人で名前消してえ~」などという、お天道様に恥じる事のないような立派な別れなどした事がなかった。うん、だから当然「また逢う日まで」なんて事にはならない。ちなみにこの歌の歌詞の「二人で名前消して」の意味がよく分からなかった。知人との協議の上、部屋のドアだか、郵便受けだかに書かれた二人の名前を削除するという事なんじゃあないかという考えに落ち着いた。それならば「二人で表札を外し~」だとか「二人で郵便受けに貼られた名札を剥がし~」というべきじゃあないかという私の意見に、知人は「いや、それ、字余りだから」と冷ややかな言葉を返してきた。


 そういえば昔、知り合いの爺さんが「別れのその訳は、話したくない」という部分を間違えて、「別れのその訳は、話しますまい」と歌っていた。うふふ、いいねえ、いきなり村の古老の打ち明け話みたいな歌になっちゃったよ。ただの男女の別れが、村に伝わる伝説の恋歌に早変わりってなもんさ。


 ともあれ開かずの段ボールを開き、中の衣類を捨て去る事にした。もし何か必要なものを思い当たるお方がいらっしゃったら至急ご連絡下さい。とりあえず私が住んでいる地区のゴミ出し日、火曜日までは大切の保管しておきます。


 ああ、今の私はそれ以外にも捨てたいもので一杯なんだ。別れた女が残していった衣類なんかよりも何よりも、まずは自分自身を捨て去ってしまいたい。うん、でも今はまだ捨てますまい。


                            2019. 5. 5.