通信20-1 ぽりぽりとかりんとうを齧りながら

 

 街は「どんたく」とやらで大いに浮かれている。世間では元号が変わって、うん、確か令和とか言うんじゃなかったっけ。いや、何という元号になろうと知った事か。私の馬鹿っぷりは何も変わらない。なにしろ昭和、平成を通して貫き続けた筋金入りの馬鹿なんだ。今更、何が変わるもんかね。

 それにしても何だか文章が苛立ってないかい?そりゃそうさ。ああ、今、大いなる苛立ちと闘いながらこの文章を書いているんだ。実は最近パソコンを変えた。まだまだ使いこなせていない。変換予測候補っていうのかね。要するに「度が過ぎた大きなお世話」、そいつが目の前のパソコンの画面を大いに賑わせているんだ。全くこのコンピューターとかいうやつ、どうかしているとしか思えないぜ。相手の言わんとするところを先回りして口に出す事で、自分の賢さをアピールする嫌な奴が世の中には存在するもんだが、まさにそんな奴が百人がかりで纏い付いてきているんじゃないかと思えるほどの鬱陶しさだ。くそ、したり顔で「君が言わんとしている事は、あれか、これか、それか、どれか・・・」、ええい、鬱陶しい。こんな装置を有難がりながら文章を書いている御仁が世の中に一体どれぐらいいるのだろうかねえ。ともかく何とかこの変換予測とかいう奴を振り切ろうと全速力で文字を打ち込み続けているんだが、くそ、変換予測どもめ、まるで妖怪のようにせせら笑いながら私の前に立ちはだかるんだ。

 ああ、世の中は何て泰平なんだ。ほうら、初夏の爽やかな陽射しが、窓から差し込んできて、私の心も穏やかだ。などという気分になっているのは、一旦、文章を書くという作業を中断して、パソコンの設定を変えたからさ。変換予測とかいう機能を追い出してやったんだ。ショウジョウ蠅を追い払うようなもんさ。

 病気のために長年続けていた仕事をばっさりとぶった切るように中断して、一年ほどを田舎の療養部屋で不貞腐れながら過ごした。そうしてこの街に再び戻ってきてから丁度十年になる。2009年の5月の私は、深海魚のように顔面深くのめり込んでしまった眼球を、真っ黒い、漫画に登場するもぐらが掛けているようなサングラスで押し隠しながら、弱法師のようにこの街をふらふらと彷徨い始めたんだ。それから十年、何か変わったかって?いや、もちろんほとんど何も変わらない。僅かに変わった事といえば、年老いて足腰がすっかり弱り、うろつき回る距離が縮んでしまったぐらいだね。

 中断して以来、仕事の注文は来ない。まあ、当たり前の事だ。もし本当に注文が来なくなった時には、自分は原稿を書くのをやめてしまうんじゃないかと内心思っていたが、ああ、おかしなもんだね、いつの間にか五線紙に向かってかりかりと音符を書き込む日常が戻って来ていた。物を作るという事の本質を知るのに、失業するってのはいい体験かもしれないね。

 書く事によって、私は自身の食い扶持を保っていたのだが、それ以上に書く事でのみ保つ事ができる、そんなものが自身の中にあるのだと改めて知った。そもそも音楽が、いや、芸能というものが職業として成り立つ以前、何故人々は芸能という厄介な作業に現を抜かしていたのか。ともかくそんな事を考え始めたんだ。元々音楽の、芸能の、その不可思議な歴史をいちど、きちんと辿ってみたいと思っていた。そんな訳で半年間ほどもさぼっていたブログをまた性懲りもなく立ち上げたんだ。さあ、ちょいと思いつくままに、あれやこれやと書き散らしてみようか。またまた与太話をさ。

 どういう訳だか知らないが、たまたま知人が大きな袋に入った「かりんとう」を送り付けてきた。丁度いいさ、うん、そいつをぽりぽりと齧りながらさ、古の音楽に思いを馳せようって訳さ。
               
                             2019.5.4.

 

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