通信29-7 人の眠りを妨げる楽器、それはもちろんシンバルさ

 社会にじわじわと進出し始めた楽師たち。その彼らが主にどんな仕事に就いたかというと、やはり最初に思い浮かぶのは宮廷でのお勤めだろうね。楽師からもう少し範囲を広げるとジョングルールなどと呼ばれる芸人もいて、新しい音楽の出現に大きな役割を果たしていた。ちなみに宮廷が栄えてゆくという事は、教会の力が衰えてゆく事を意味している。つまり神に代わって人間が力を持ち始めたって事さ。

 

 宮廷に属する楽師たちの仕事で思い浮かぶのもというと、やはり食事や舞踏の伴奏などだろうか。一方で屋外の行事、軍事行動や競技会の音楽を奏でるなどという仕事もある。ここで気づくのは室内での音楽と、屋外での音楽というまったく違う種類のふたつの音楽が存在したという事だ。

 

 実は1100年頃から中世末期までの楽師は、使う楽器によって二つに分類されていた。当時それはそれぞれに「オー」と「バ」と呼ばれ、区別されていたんだが、簡単に言うと「うるさい楽器」と「静かな楽器」に分けられていた。この「オー」と「バ」による区分はそのまま階級の違いとなってゆくのだが、やはり屋外で演奏する楽器群と、室内で貴人たちに近い場所で、彼らに寄り添うように仕事をしていた楽師では、うん、大袈裟に言うと身分の違いみたいなものが生まれるんだろうね。

 

 ちなみに「オー」の楽器は、トランペット、ダブルリード、バグパイプや打楽器など、「バ」と呼ばれた楽器にはハープ、リコーダー、ヴィオール、リュートなどが上げられる。もちろん単純に「バ」が「オー」よりも上の立場にあったとも言えない。例えば聖書や神話の中の物語と結びついて、独自の意味づけをされた楽器も多く存在するからだ。ちなみに王侯貴族の行幸の折には行列の先頭にはトランペット吹きの一隊が陣取り、そのトランペット吹きの数で権力を誇示したらしい。

 

 王侯貴族たちの身近にいて、直接彼らを喜ばせ、慰めた一部の優れたジョングルールたちは、一カ所に留まる事なく宮廷から宮廷を渡り歩くのだが、秘かに情報を伝達する、いわゆるスパイのような役割を果たしていたとも言われる。一方で宮廷などと縁を持つ事の出来なかった多くのジョングルールたちは、身分の低い、いわゆる賤民のような存在として、だが冠婚葬祭の場などで大いに民衆を沸かせる事となる。その中心になった楽器がバグパイプで、時にはあまりに人々を熱狂させる事から、危険視され、しばしば禁止令も出されるほどだったという。ちなみに山羊の膀胱から作られたこの楽器は往々にして性的なシンボルとしても認知されていた。

 

 また1200年頃には楽師たちが医療関係の仕事に従事していたという記録も残っている。当時の医者が残したカルテには薬を処方するように、楽師をも処方していた。楽師たちを病人の元に派遣し、病床で演奏させ続けたのだろう。派遣する楽器の種類と滞在する期間が示されている。

 

 なお、医学論文にも楽器の名前が登場した。中世のヨーロッパで最も恐れられた病気に「嗜眠病」というものがあった。この病に罹った者は決して目を覚ます事なく死んでしまう。多分今でいうナルコレプシーのような病気ではないかと思うのだが、当時は眠っている患者の夢の中に悪魔が現れ、そのまま死の世界へと患者を連れ去ってしまうと考えられていたらしい。そのためには一刻も早く患者の目を覚まさせなければ。その病気の治療に最も効果的な楽器は何か?うん、論文によるとそれはシンバルらしい。静かな県立図書館で資料に当たっていた私はこの一文を読み、必死で笑いを堪えた。ちなみにちゃんと過去の治療例も挙げられている。それによると重度の患者の枕元で、シンバル、ティンパニーなどの打楽器を打ち鳴らし、さらにそれぞれ発情した一対の豚や牛を鳴かせ続けたとの事。うううん、やっぱり中世って凄いね。

 

                           2023 12  6