通信28-1 少女漫画の思い出 その1

 国中が浮かれまくる年末年始をほぼ布団の中で過ごした。さあ、いよいよ布団の国の王様になりつつあるって訳だ。そんな年明け、近所にお住いのお姉さんが漫画を持ってきて下さった。お見舞い?うん、何でもいいさ。それにしても病人に漫画、なかなかの組み合わせじゃないか。

 

 そう思いページをめくると、あれ?なかなか読み進めないぞ。うん、久々の少女漫画なんだ。漫画の絵ってのはつまるところ記号だからさ、その記号に慣れない私は、さっぱり作品についていけないんだ。まあ、年寄りだからね、しょうがないよね。

 

 津田雅美先生がお描きになった「彼氏彼女の事情」という作品、普段遠巻きに見ている少女たちの世界におずおずと入り込んだって訳さ。この津田先生という御仁、もちろん未知の作者だが、それでも先生という敬称を付けるのは、そうだね、昔読んだ漫画雑誌の欄外にはよく「○○先生に励ましのお便りを」などという端書があり、漫画家は先生という言葉と込みで存在していると感じていたのを思い出したんだ。そういえば昭和四十年頃の漫画雑誌にはファンレターを催促する文言がよく載っていたんだが、ああ、今では考えられないね、先生ご本人の住所が堂々と載せられていた。その当時の先生方のお住まいは「ひばり荘」だとか「寿アパート」だとか、ともかく質素な名前がついているところが多く、貧しくも清らかな暮らしをしておられるんだろうと想像したものだった。

 

 今回お借りした「彼氏彼女の事情」、まさに少女漫画の王道という感じで、やはり今でもそういうジャンルは残っているものだなと妙に安心した。私には三歳上の姉と五歳下の妹がいる。漫画雑誌を買うという習慣が全くなかった私は、あまり気乗りしないまま二人が読み終わった漫画をぱらぱらとめくり、少女漫画というものを知る事になった。

 

 姉が読んでいたのは主に昭和四十年前後の少女雑誌、まだ漫画が週刊誌だった頃のものだ。確か「週刊マーガレット」という本だったと思う。何故憶えているのかというと、よこたとくお先生の「マーガレットちゃん」という漫画が連載されていたからだ。内容はあまり記憶にないのだが、作品の舞台は中世、近世のヨーロッパが多く、白髪(多分カラーで描くなら金髪という事になるのだろう)の主人公が、継母らの苛めに耐え抜き優しい王子様とめでたい結果に終わるというものが多かった。やはり少女たちの憧れは西洋の貴族生活にあったのだろうか。でも多分、今読むと突っ込みどころが満載のヨーロッパだろうね。

 

 国内を舞台にしたものといえば、バレリーナが主人公のものが多かったように思う。努力家の主人公が難病を克服し成功を収めるという筋書きが定型だったと思うが、それがどういう病気だかも分からないまま、脊椎カリエスだとか白血病だとか、やたら重々しい病名ばかりを子供心に留めていた。

 

 そんな中、ごくまれに「学園もの」もあったのだが、いや、「学園もの」というよりも「学校もの」とでもいうべきか、例えば巴里夫先生の「五年ひばり組」だとか、うん、やたらと「ちゃんと掃除しなさいよ、男子たち」だとか、「女子のくせに生意気だ」だとか、「先生に言いつけてやるから」だとか、臭い台詞が次々と現れ、到底ついていけなかった。こんな漫画を喜んで読む子供はどんなやつだろうと、姉と二人訝しがったものだ。

 

 里中満智子先生の御登場は、いきなり漫画をリアルなものに近づけたようでなかなかの衝撃だった。このあたりから登場人物の細やかな感情が丁寧に描かれるようになり、またコマ割りやカットにも工夫が凝らされ、読み応えのあるものとなってきた。そういえば昭和三十年代の漫画では、いちいちご丁寧に全てのコマに番号が振られていたんだよね。ともあれ人生経験が乏しい我々ガキどもは里中先生の作品から色々と世の中の事を学んだような気がする。そういえば里中先生の「明日輝く」という作品の中で主人公たちが雪の中、裸で抱き合い、「二人で抱き合っていれば雪の中でも裸で寒くない」というような台詞を漏らしていて、へえ、そんなものなのかねえと思った。一度試してみようかと常々思い続けていたのだが、この半世紀、勇気がなくて試す事ができないままでいる。まあ、こればかりは相手も必要な事だしね。

 

                                                                                                            2023. 1. 30.