通信27-27 今朝も元気に目を覚ました

 おお、今朝は久々に頭痛がないじゃないか。いったい何日ぶりだろう。うん、頭痛といっても正確には眼痛なんだけどね。ここ最近は眼痛のやつが進化を遂げたらしく、毎日飽きもせずやってくるんだ。といってもこちらも黙って手を拱いているってな訳じゃない。目は何のために二つもあるんだ。もちろん互いに助け合うためさ。という訳で日替わり、右目と左目が交互にずんずんと痛むようになっている。あれ何て言うんだっけ。時折、見掛ける遊戯。赤上げて、白上げて、赤下げないで白下げる・・・とかいうやつ。うん、あの遊戯みたいなものさ。毎日どちらかの目が痛むが、時にはちょいとイレギュラーに痛む順番を入れ替えてもみるってな感じさ。

 

パソコンの画面を見ていると、何やら目の奥にじわりと痛みの元が染み入ってくる感じがするね。私の目は光に弱くなってしまったのだろうか。ううううん、数十年も太陽の光を音で表そうと追い続けた身としてはいささか情けない気もするね。

 

ともあれこんな馬鹿な文章を書いているのは、生きている事をお知らせするためさ。ブログが更新されないと心配になるというお声を複数の方からいただく事があるんだ。私はまだ生きてますよお。香典の準備はいりませんよおってな事を暗に言いたいのさ。

 

そういえば以前住んでいた近所に独居老人ばかりが住む長屋のような住居があった。その長屋の各部屋の玄関には、毎朝小さな木札がぶら下がるんだ。一体何だろうと常々思っていたのだが、ある時たまたま話す機会があった一人の婆さんに訊いてみた。今朝も無事に生きているという事を互いに確かめ合うための木札だという事。なるほど。まあ私の内容のないブログもこの木札と似たようなもんだね。

 

ところで私の右目は物心ついた頃からほとんど見えてはいないんだが、それでも左右が同じように痛むのは何故なんだろうね。痛みに差別なし。見える目も見えない目も平等に罰を受けよってなもんかね。

 

実は左右のバランスが悪いのは目だけじゃないんだ。元々右の聴力もかなり低い。もう仕事をする機会もないからこうして書く事もできるが、以前は隠していた。指揮台ってのはオーケストラの真ん前にあり、音を聴くには適した場所にあるとは言えない。右の耳が悪い私にはチェロやコントラバスなどの低音を担当する楽器の音が翳んで聴こえていた。若い時は練習場にラジカセを持ち込んで、ああ、まだカセットテープが主流の時代だね、少し離れたところで録音し、自分に聴こえている音と、実際に鳴っている音の差異をいちいち確認し、うん、お勉強したって訳さ。もうその手の仕事をする事もないだろうから隠す事もしない。ああ、すっきりするってのはいい事だね。

 

という訳で、私は今朝も元気ですよというお知らせだけでパソコンを閉じるつもりだったんだが、ついだらだらと駄文を垂れ流しそうになる。目の奥が何やら重くなってきたので、おお、くわばらくわばら、これでおしまい。

 

                                                                                                       2022/ 12/ 4.