通信28-2 少女漫画の思い出 その2

 私が子供の頃、少女漫画の多くは男の作家が描いていたように思う。今となってはあまりにも有名な作家たち、ランダムに名前を挙げるならば手塚治虫先生、赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生、楳図かずお先生・・・、ともかく漫画の書き手というのは男性で、彼らが必要に応じて少女漫画、少年漫画を書き分けていたという印象だ。あまり関心も無かったのではないだろうか、彼らの作品の中で少女たちの内面が深く描かれる事はなかったと思う。そこに描かれる少女たちの感情は「悲しい」「嬉しい」などというシンプルなもので、物語の定型を微かに彩っているにすぎなかった。それでもそのストーリー、作画の上手さ、にわくわくと胸を躍られながらむさぼり読んだ記憶がある。ちなみに楳図かずお先生の少女漫画というと「へび女」や「あかんぼ少女」などおどろおどろしいホラーものが浮かぶかもしれないが、私は「ロマンスの薬あげます」のようなコメディが好きだった。毎回腹を抱えて笑いながら読んでいた記憶がある。

 

 そんな中、やはり里中満智子先生の御登場は鮮烈だった。私のような朴念仁が思ってもみなかった少女たちの心の動きに毎度驚かされ、未知の生物の暮らしを覗き込むような好奇心を持って読み続けた。もちろんそれで少女漫画の世界が理解できたかというと、うん、そいつは怪しいもんだ。例えば物語が佳境に入るにつれ、主人公が花に囲まれたり、時には花だけが描かれた大きなコマが現れたり、もしかすると読み手の速度をコントロールしているのかもしれないが、とうとうそれらのコマ割りに私は馴染む事ができなかった。

 

 ともあれ姉はとても真面目な優等生だったので高校生になると漫画を読むのを止め、受験勉強に邁進するようになった。どうしても漫画を読みたいと思っていた訳ではない私も、自然と漫画というものから離れていった。が、数年後、妹が中学校に上がり、少しずつ色気付き始めると、再び家の中にちらほらと漫画本が現れるようになった。しかしそれは「週刊マーガレット」ではなく、うん、週刊誌の時代は終わっていた、代わりに現れたのは「月刊マーガレット」?いや、月刊ではない、それがどういう訳か「別冊マーガレット」というものだった。どうやら月刊と違い、別冊は読み切りを中心に作られた雑誌という事らしい。

 

 それはかつて、いささかの引け目を感じながら覗き見するように読んでいた姉の週刊誌とは違っていた。書き手のほとんどは若い女性作家、しかもそこに描かれた少女たちと等身大のような幼ささえ感じさせる女性作家たちが、自分の心の内を語るように描き始めていたのだった。

 

 なかなかの衝撃だった。まずは作画の下手糞さに驚いた。そうか、漫画は素人のものになってしまったのだとそう感じた。もちろんそれが悪い訳ではない。よりリアルに、あけすけなほど少女たちの感情が描かれ、その勢いに呑み込まれそうになりながらも、自分にとっては未知の生物である少女たちの内面を学ぶ教科書として私は読み続けた。その中で時折、雑誌の柱の役割をお持ちなのだろう、確固とした腕をお持ちのくらもちふさこ先生や、槇村さとる先生の作品に触れると何となく安心したものだった。うん、ともかく少女漫画ってものは変わってしまったのだとそう痛感した。実は先日、近所のお姉さんにお借りした津田雅美先生、うん、この人が何歳ぐらいなのかは知らないが、ともかく若い、そう感じた、この津田先生の御本に触れて、まず思い出したのがその別冊時代の漫画だったんだ。別冊、もしかするとそれは新人を育てるための装置なのではないだろうか。

 

 それからまた幾年、多分、現在では漫画の在り方はあまりに多様で、私のような老人はその入り口であたふたするのが関の山ってなところだろうね。それでも、うん、文化の縮図としての漫画の世界を少し覗いてみたいという気分になっているんだ。

 

                                                                                                        2023. 2. 1.