通信28-3 少女漫画について その3

 私にとっての少女漫画の伝道者である妹ともすっかり会う機会がなくなり、少女漫画からも遠ざかってしまった私ではあったが、ある時知り合った少女漫画マニアのT君に色々と教えてもらった。

 

 T君によると太刀掛秀子先生の「花ぶらんこ揺れて」という作品は日本中の少女を泣かせたらしいし、陸奥A子先生という方は独自のおとめティックラブロマンなる世界をお創りになったとか。後に聞いたところによるとこれらは「りぼん」という月刊誌に連載されたものであるらしく、その「りぼん」は魅力的な付録を次々と付ける事でも、少女たちの心を虜にしてしまったらしい。それにしても残念なのはT君、いろいろと解説をしてくださるだけで、一度も現物を見せて下さらなかったんだ。という訳で「りぼん」については具体的なイメージはない。ん?いや、もしかしたら私が唯一買い揃えた少女漫画、全十二巻からなるさくらももこ先生の作品「ちびまるこちゃん」それってもしかしたら「りぼん」に掲載されたものではないだろうか。

 

 少女漫画というものが一つの様式で括られたものだとすると、やがてはそこから乖離する作品が出てくるのも当然だろう。もはや少女漫画とは言えない、ならば何と言うのか、女性漫画とでもいうのか、時折耳にするレディースコミック?うん、それとは何だか違う気がする。ともかくそういう新しい作品の書き手として現れた高野文子先生の「絶対安全かみそり」にも衝撃を受けた。少女漫画から脱皮したというよりも「対男性」として存在した少女漫画から抜け出、女性そのものの世界を描き出した作品に心が躍った。性差を超越した作家という事であれば、萩尾望都先生、山岸涼子先生、大島弓子先生・・・など頭がくらくらするような名前が浮かぶが、うん、視力がもし回復すれば改めて読んでみたいとも思う。

 

 つげ義春先生が筆を置かれて以来、すっかり漫画と触れる機会がなくなったが、今はどういう漫画が読まれているのだろうか。それにしてもこうして書き並べると、漫画というものの変遷ぶりには、ただただ驚くばかりだ。ああ、小学校低学年の私を何ともいえない切ない気持ちにさせたお姫様たちは一体どこに消えてしまったのか。時には手酷い失敗をしながらも人々の求めに応じ、様々に形を変えて生き延びてきた漫画という文化。その変化を見ていると、うん、半世紀以上も飽きることなく同じような曲をもぞもぞと書き続けているこの私は一体何者なんだと思う。そうだね、本当に世の中に目を向ける事がなかったんだ。

 

 そんな私だが寝込む事が増えて以来、枕元に置いたラジオからいろいろな音楽番組を聴き、よろよろと机に向かってはパソコンを開いて新しいドラマや映画を眺め、自分のこれまでの頑なさを嘆いている。ああ、そうさ、寝込むってのは私にとってチャンスなんだ。こうなったからには中上健次の「千年の愉楽」の語り部として在るオリュウのオバのように、寝ながらにして大気の中を自由に飛び回り、時空を超えて世界のすべてと関りを持つ、そんな存在を目指すだけさ。残り少ないとはいえ、ともかく新しい人生の始まりだ。そうして上手くいけば死んだ後も、あの世とこの世をうろうろと行ったり来たりできるようになるかもしれないぜ。

 

 ふと思い出したが寺山修司監督の「さらば箱舟」という映画の中で、死んだ山崎努演じる主人公がまだ生きている妻に宛てた手紙の書き出し。「おい、元気でいるか?俺も元気で死んでいる」うん、いいねえ。生死の境ってのは軽く飛び越えられるぐらいが丁度いいよね。

 

                          2023. 2. 2.